長崎県 島原城2019年05月02日

島原城は 1618年に松倉重政によって築城が始まりますが、費用を捻出する為に過酷な年貢の取り立てとキリシタンへの激しい弾圧を行います。
重政の死後、家督を継いだ勝家も悪政を引き継ぎ、島原の乱の要因となります。
一揆の鎮圧に失敗した島原藩は島原城に籠城し、一揆勢の攻撃に耐えます。
幕府軍により一揆が鎮圧されると勝家は斬首、松倉は改易となります。 その後は高力氏、松平氏が城主を務めます。 廃藩置県後は廃城となり、現在は公園として使用されています。

西堀端通りへが想像以上に細く、県道58号から入る場所が分かりませんでした。
何とか城内の駐車場に入り、バイクを駐車しました。 天守は駐輪場の目の前です。
この辺りが本丸だった場所で、公園の隣にある島原文化会館がある辺りが二ノ丸だったようです。
島原城・天守

天守
島原城の天守は廃城時に取り壊されており、現在の天守は 1964年に復元された物です。
現在の復興天守は再現性が低いとも言われてますが、当時の天守も独立式層塔型五重五階だったので意外と似ている外観なのかも?
天守内部は資料館になっており、100名城のスタンプはここの受付に置かれています。
島原城・天守

島原城・天守

天守からの眺めです。
眉山や有明海が良く見えます。 当時もこんな感じに城下町を見下ろしたのかも知れません。
島原城・天守からの眺め

島原城・天守からの眺め

巽櫓
1972年に復元された櫓で、現在は郷土出身の彫刻家北村西望氏の作品が展示されています。 西望氏は長崎平和記念像の作者として知られる人物です。 あと、先ほど訪問した原城本丸の天草四郎像も西望氏の作品です。
島原城・巽櫓

島原城・巽櫓

丑寅櫓
1980年に復元さrてた櫓で、現在は民具の資料館として使用されています。
島原城には天守の他に49もの櫓が建てられたと伝わります。 島原藩が出来た時の松倉氏の石高は4万石程度でしたので、領国運営に無理が出るのは必然でした。
原城もかなり立派な城だったので、そこまで無理をした理由が良く解りません...。
(島原城・丑寅櫓)

島原城・丑寅櫓

西櫓
天守よりも前の 1960年に復元された西櫓で、現在は展示場として使用されています。
島原城は 1792年に発生した地震では塀や櫓が崩れるなどの被害が出たようです。 また、地震によって発生した津波が押し寄せ、「大手の石垣によじ登って水から脱した」などの記録もあるようです。
島原城・西櫓

島原城・西櫓

松倉重政祭祀の祠
島原城を築城した松倉重政と工事中に亡くなった人々を祀る祠です。
扁額は松平忠精公が奉納した物です。
島原の基礎を作った人かも知れませんが、一揆の切っ掛けを作った人のようにも思える人物なので、祀られている事に少し不思議です。 領民にそれほど慕われていたとは思えないのですが...。
島原城・松倉重政祭祀の祠

本丸から周辺の水堀を眺めた所です。
内堀は意外と当時の形を留めている感じがします。
島原城・内堀

島原城

次の熊本城にはフェリーに乗って移動します。
熊本行きのフェリーは2社あり、大体2時間間隔くらいで出航しています。
チケットと土産を物色して順番待ち。
自分が乗った高速フェリーの方は意外とバイクが少なかった。
熊本フェリー

時間が来たのでバイクに乗ってフェリーの到着を待つ。
熊本フェリー

いよいよ乗船。
熊本に向かいましょう。
熊本フェリー