埼玉県 旧煉瓦製造施設 ― 2025年02月09日
埼玉県深谷市の日本煉瓦製造株式会社は渋沢栄一らによって 1887年に設立された煉瓦製造会社です。 日本煉瓦製造株式会社はドイツ人技師チーゼを雇い入れ、当時最新だったホフマン式輪窯による機械式煉瓦製造工場を建設します。
1888年から1号窯による操業を開始し、生成期には6基の窯を稼働して煉瓦の製造が行われました。 ここで製造された煉瓦は東京駅の建造などにも利用されました。
しかし、関東大震災により煉瓦造りの建物の脆弱性が指摘され、建物は鉄筋コンクリート造りへと変化して行きます。 日本煉瓦製造株式会社も秩父セメント(後に小野田セメントと合併して現在の太平洋セメント)を設立してセメント生産を開始します。 煉瓦需要の減少により、日本煉瓦製造株式会社は 2007年に自主廃業します。
駐車場
ここが、今回の渋沢栄一関連散策の最後の場所になります。
奥の方に見える建物が旧事務所で、その手前の仮設建物でホフマン6号輪窯の見学受付をしています。 多分、旧事務所が煉瓦資料館だったのだと思いますが、いろいろと修繕工事を行っているようで、現在は仮設建物で資料を展示していました。
ホフマン6号輪窯
見学受付をして、ガイドに同行してもらってホフマン6号輪窯に向かいます。
現在、大規模な保存工事中なので、煙突以外の外観はほとんど見えません。
内部の写真撮影は可能ですが SNS 掲載が NG になります。 見学できる窯も一部で、自由に見学できるのは修繕工事の完了を待つ必要がありそうです。
その頃に改めて見学したいと思います。
旧事務所
1888年に建てられた、ドイツ人技師チーゼの住所兼事務所だった建物です。
翌年にチーゼは帰国し、それ以降は日本煉瓦製造株式会社の事務所として使用されました。
1978年からは煉瓦資料館として資料が展示されてましたが、現在は建物内に入れませんでした。
かなり傷みが激しかったので、保存工事とかが行われるのかも知れません。 取り壊さずに保存して欲しいですね..。
旧変電室
敷地の端の方にポツンと残された小さな建物です。
1906年に建てられた変電設備を設置していた建物です。
日本煉瓦製造株式会社はそれまで蒸気式原動機だったのですが、この頃から電動機へと切り替わります。 この工場で電気に電気が引かれたのは、深谷市に電灯が導入される1年前だったようです。 煉瓦造りのおかげで保存状態も良さそうです。
広大な工場だったようですが、現存する建物は非常に少ないです。
保存整備はまだ数年かかるようですが、整備事業が終わったら再訪したいですね..。
窯の中の写真が公開出来ないのが残念...。
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