島根県 津和野城(2)2022年05月01日

前回の続きです。

三之丸(本丸西側)
仮設階段を登りきると台所のある曲輪に到着しました。
地図上に特に記載が無かったのですが、ここも三之丸のようです。 津和野城の三の丸は、本丸の西側と南側に別れているようです。
リフトで登ってきたので楽でしたが、下から登城してたら大変そうな山城です。
津和野城・台所付近

台所付近
多分、この辺りが台所だった場所だと思います。
ここに、城兵の食事を調理する建物でもあったのでしょうか?
それにしても、ここに毎日通勤するのはキツイですね...。 住む方がマシです。
津和野城・台所付近

西三之丸の先端部分です。
2列並ぶ礎石跡のような物が何なのか少し気になります。
昔の絵図を見ると、この先には平櫓があり、この曲輪周辺は塀で囲まれていたみたいです。
周辺の塀の支柱を支える控え石が、1.8m 間隔で置かれているらしいです。
津和野城・西三の丸

津和野城・西三の丸

馬立場
西三之丸の南側に長く伸びる場所が馬立と呼ばれる、馬を繋ぎ停める場所でした。
塀があったはずですが、その内側にずらりと馬が並んでいたのでしょうか?
津和野城・馬立場

天守台
奥に見えるのが天守台です。 山城とは思えない、かなり大きい天守台です。
左側の算木積が少し膨らんで見えるのが気になります。
右側が南三之丸で、そちら側から天守台に登ります。
津和野城・天守台

津和野城・天守台

西櫓門跡
西と南の三の丸の間には西櫓門があり、そこから出入り出来たようです。
石垣も立派ですし、立派な櫓門だったのだと思います。
津和野城・西櫓門跡

天守台に登る前に、南側の三之丸に向かいます。
急な斜面の上に築かれた石垣がとても印象的です。
よく、こんな場所で石垣が詰めたと思います。 こんな場所の石垣が現存している事を考えると、当時の土木技術の高さが伝わってきます。
津和野城・南三之丸へ

三之丸(本丸南側)
山の上に広がる、広大な広場。 かなり大きな曲輪で、周辺は塀で囲まれていたようです。
江戸中期~後期の絵図では、ここを「二」と書き記しているのが気になります。
本当は、「ここが二之丸なのでは?」とも思いますが、ただの城好き、旅行好きには場所が説明できれば良いのであまり関係の無い事です。
津和野城・南三之丸

南櫓門跡
南三之丸を先端の方に歩くと、南櫓門跡が見えてきます。
石垣の規模からも、かなり立派な櫓門だったと思います。
こっちは搦め手口でしょうか?
津和野城・南櫓門跡

津和野城・南櫓門跡

人質櫓台
南三之丸を引き返すと目に入るのが人質櫓台と三十間台の石垣です。
真下から見ると圧迫感を感じる石垣です。 この櫓の下を通らないと上に登れないので、攻め手からは厄介な場所です。 それにしても「人質櫓」って、変な名前ですね...。
津和野城・人質櫓台

津和野城・人質櫓台

天守台の上に登って来ました。 場所的には二之丸にあたるそうです。
奥に見えるのは三十間台の石垣で、不思議な事に、奥の三十間台の方が天守台より高い場所にあります。 天守と言うと、城で一番高い場所のイメージがあるので、それよりも高い曲輪が天守のすぐ横にある事に違和感を感じます。
坂崎氏の時代に三重天守が建てられたようですが、1686年の落雷で天守は消失したようです。
時代的に無用になっていた天守は再建されなかったようです。
津和野城・天守台

天守台から西三之丸を眺めた所。
左側に細長く馬立場がある事が良く分かります。
曲輪の中を歩いていた時よりも、上から見た方が位置関係が良くわかります。
津和野城・馬立場

三十三間台
天守台から石垣で築かれた虎口を登った先が三十三間台です。
ここが津和野城で一番高い場所で、多分、事実上の本丸なのだと思います。
かなり広い曲輪です。
津和野城・三十三間台

津和野城・三十三間台

三十三間台から人質櫓台の方を眺めた所。
一段下が人質櫓台で、その先が南三之丸で、一番奥に櫓門がありました。
人質櫓台は何処から中に入るのかわからない場所にあり、その外観から「人質櫓」と呼ばれたのかも知れないです。
津和野城・人質櫓台

太鼓丸
反対側の太鼓丸側に行ってみます。 他の曲輪と比べると少し小さ目の曲輪です。
三十三間台から太鼓丸に通じる道が複雑な石垣で作られており、上に何かしらの建物があったのかも知れません。 結構、重厚な造りになっています。
津和野城・太鼓丸の虎口

津和野城・太鼓丸

太鼓丸は天守台とも繋がっています。
天守台に「下りる」感じなのが少し不思議な感じがします。
普通、天守台は一番高い場所にある印象があるので...。
それにしても、津和野城の石垣は想像以上に立派です。 あまり予習せずに訪問したので、これだけ石垣が素晴らしいとは予想してませんでした。
津和野城・太鼓丸付近

東門跡
多分、右側の三段の石垣の上に三段櫓があったようです。
今は通れませんでしたが、ここに東門があり、その先が馬立場や台所があった三之丸です。
亀井氏の代にはここが大手門だったようです。
ここは、天守台や櫓に囲まれた重要な防御施設だったようです。
津和野城・東門跡

帰り際に振り返った所。
石垣が段々に連なります。 とにかく、津和野城は石垣が立派な山城でした。
しかも、その石垣の保存状態が良いです。
中々、満喫できました。
津和野城

下りのリフトは、少し怖かったですね..。

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