福井県 福井城跡2022年08月10日

1575年、柴田勝家が北庄城を築城します。 しかし、1583年、勝家は賤ヶ岳の戦いで敗れ、北庄城は消失します。 1600年、結城秀康がこの地に入り、1601年から北庄城の跡地に福井城の築城を開始します。 この時、北庄城を改築したのか、まったく別物として築城したのかは、意外な事に不明なようです。 明治維新後に福井城は廃城となり、一時期、陸軍省の管轄となりますが、1890年、福井藩最後の藩主だった松平茂昭によって買い戻されます。

現在の福井城跡地は福井県庁、県議会議事堂、県警察署となっています。
これでは発掘調査をして北庄城と福井城の関係性を調査するのは難しいかも知れません。
続100名城は福井県庁の庁舎受付にあります。
福井県庁

福井県庁・駐輪場
一番困ったのは、バイクを停める場所です。
福井県庁には地下駐車場があるのですが、バイクを停めて良いのか判らず、駐車場脇に停めて福井県庁の警備員に話を聞いてると、隣の警察署から警察官まで来るハメに...。
警察官の方も、バイクを停める場所が分かりにくい事は承知していたらしく、警備員に駐車場まで案内してもらいました。 警察官も意外と親切な対応で助かりました。
駐輪場は福井県議会議事堂の奥の方にあり、バイクを停める場所は写真奥の方にあります。 但し、停められるのは数台程度です。
福井県庁・駐輪場

駐輪場付近の土塁と石垣。
福井城は廃城後、農業試験場となっていた時期もあるようですが、周辺の石垣や土塁は思ったよりも保存状態が良いみたいです。 綺麗な切込ハギの布積みです。
わざわざ県庁周辺に復元するとは思えないので、当時の遺構だと思います。
福井城・駐輪場付近の土塁

福井城・駐輪場付近の石垣

福井城の見所は、警察署の北側にある天守台と復元された山里口御門です。
狭い駐輪場にバイクを停めたので、足早に見学を済ませる事にします...。
天守台は奥に見える石垣の上にあります。 福井城の天守台は2段構造のような感じです。
福井城

一段下の石垣を登ります。
思ったよりも広い場所で、今は休憩所のような場所です。
お昼休みを過ごすには良さそうな場所です。
福井城・天守台付近

福井城・福の井

福の井
1601年に北庄城を築城した頃から存在していたと考えられている井戸です。
1775年の絵図に「福井」と記載されている、地名と同名の特別な井戸です。
「福井」の地名の由来になったとの説がありますが誤りのようで、1624年に松平忠昌が「敗北した北ノ庄は縁起が悪い」との事で「福居」に改名、それが、1700年頃に「福井」に変わったようです。 その事から考えると、「福の井」の方が後から付いた名前なのかも知れません。
福の井は、1948年の福井地震で大きく損傷、その後、修復されましたが外枠が大きく変わってしまいました。 2017年に再整備され、震災前に近い状態に復元されます。
福井城・福の井

ここの天守台が不思議なのは、左右に2つの天守台がある事。
片方は控天守台と呼ばれており、本丸復元図を見ても控天守台には建物は描かれていない。
今一つ控天守台の役割が判らない。 予備用に造ったのかも知れないが...。
福井城・天守台

控天守台
1948年の福井地震で控天守台は崩壊しました。 現在でもその時の痕跡が残されています。
福井平野を震源とする大きな地震で、福井市の 80 % の建物が全壊しました。
これだけ巨大な遺跡材が動く位の力なので、当時の一般的な建物はひとたまりも無かったと思います。 当時の教訓として、そのまま保存しているのでしょうか?
控天守台は立ち入る事が出来ません。
福井城・控天守台

福井城・控天守台

天守台
福井城天守の外観は4層でしたが、内部は5階建でした。 建物の高さは約 30m、天守台を含めると 40m ほどありました。 天守は 1669年に焼失しており、その後、再建される事はありませんでした。 既に戦国の世が終わっているので、天守は既に不要だったのかも知れません。
こちらの石垣は綺麗な状態でした。 すぐ隣の天守台だけが被害を逃れたとは思えないので、こちらだけ復元したのかも知れません。
福井城・天守台

福井城・天守台

天守台の南側には小天守か付櫓が建てられる位のスペースがあります。
複合型天守とも言われてますが、小天守や付櫓が存在していた証拠な無いようです。
控櫓台もそうですが、無駄に立派な石垣が多いですね...。
福井城・天守台

福井城の内堀は、ほぼそのまま残っている感じに思えます。
内堀から、天守下段の石垣部分を外から眺めた所。
下段の石垣も結構な高さがあります。
福井城・天守台下段

本丸北側の石垣を内側から見た所。
石垣の内側は階段状で、石垣の上に登りやすくなっています。
福井城・本丸北側部分

福井城・内堀

山里口御門
築城時からあった西二之丸に繋がる門です。 西二之丸は松林があった事から山里丸と呼ばれてました。 門は 1669年の火災で焼失してますが、その後再建され明治時代まで使われていました。
その後、門が無くなった経緯はよくわかりませんが、2018年に山里口御門が復元されます。
福井城・山里口御門

福井城・山里口御門

御廊下橋
山里口御門の先は、屋根や壁で囲まれた特徴的な御廊下橋です。
松平春嶽の頃は、三之丸に御座所があった事から、御廊下橋を日常的に渡っていたようです。
現在の廊下橋は 2008年に復元された物です。
福井城・廊下橋

福井城・廊下橋

御廊下橋を渡った先が西二之丸でした。
現在の中央公園がある辺りが西二之丸、堀を隔ててその先が西三之丸でした。
西三之丸の西側は家臣の屋敷が建てられていました。
福井城・西二之丸

駐輪場が狭かったので、少し急ぎ足で見学する感じになってしまいました。
庁舎が休みだった場合、バイクを停める場所に苦労しそうですね...。


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