京都府 即宗院2020年11月20日

臥雲山即宗院は、東福寺の塔頭寺院の一つで、島津氏久の菩提を弔う為に 1387 年に創建されました。 1569 年に火災で焼失してますが、1613 年に島津家久によって再建されています。
また、幕末には西郷隆盛が月照と討幕の密談をした場所です。 島津斉彬の死後、幕府の追求に追い詰められた西郷は、月照と入水しますが西郷だけが助かります。
島津との結び付きが強い寺院のようです。

普段は非公開な即宗院ですが、紅葉シーズンのみ特別公開されます。
即宗院は、東福寺の偃月橋を渡った先にあります。
東福寺の参拝者数と比較すると、ここまで来る人は少ないようでした。 これで、東福寺三名橋を全て渡りましたね...。
東福寺・偃月橋

東福寺・偃月橋

山門で拝観料を支払って中に入ります。
山門は島津氏が再建した当時の物で、左右には石造りの仁王像があったようです。 石造りの仁王像が門に設置されているのは珍しいかも知れません。 気にせずスルーしてしました...。
(写真は山門の先にある門です。)
即宗院

この門の先が月輪殿の入り口です。
平安時代末期、関白藤原忠道は、ここに東御堂を建立しました。 忠道の子、兼実は、関白を辞した後に山荘「月輪殿」としました。 月輪殿は兼実の別称です。 どうやら寺院が創建される前に、山荘が既に存在していたようです。
現在の庭園は 1977 年に当時の面影を復元した物です。
即宗院・月輪殿の入り口

当日は貸切状態でした。 東福寺は人が多かったので、静かな場所に来ると落ち着きます。
西郷さんが見た庭園も、こんな感じだったのでしょうか?
古い絵図を見ると、昔は瀧や池があったようです。 法然上人が描かれている絵図も残されています。 山荘だった頃はもっと大規模な庭園だったのかも知れません。
即宗院

即宗院・月輪殿

即宗院・月輪殿

即宗院の裏側にある、東征戦亡之碑の方に移動します。
こういった、何気ない通り道も美しいです。
人がいないので静かです。
即宗院

即宗院

即宗院・紅葉

この階段の近くに西郷と月照が密談をした採薪亭があったようです。
今は、案内以外は何もありません。
密談した当時は狐や狸が出るような、もっと山深い場所だったようです。
即宗院

即宗院・紅葉

東征戦亡之碑
明治維新の時、西郷隆盛は即宗院の裏山から幕府軍に向けて砲撃を行いました。 ここは明治維新の舞台でもあったようです。
雨で滑る階段を登りきると、西郷隆盛が建立した東征戦亡之碑が現れます。 西郷隆盛は、明治維新で戦死した薩摩藩士 524霊を称える為にこの碑を建立したようです。 石碑の字は西郷隆盛の直筆です。
即宗院・東征戦亡之碑

即宗院・東征戦亡之碑

即宗院と、薩摩との繋がりが深い事は訪問してから知りました。
新たな発見は楽しいですね...。