沖縄県 金城町石畳道2023年03月20日

首里金城町は首里城の城下町でした。 その頃からの石畳の通路が現在でも残されています。
日本軍の司令部が首里城に置かれた事により、この地域も相当な戦争被害が出たと思いますが、人々の努力により整備されています。
石畳道は距離的には大体、450m 程度の距離ですが意外と高低差があります。 今回は北側から坂道を下るルートでしたが、南側からだと結構な坂道を登る事になります。

この通路の周辺に、お店とかは存在しません。
周辺は住宅地です。 住人に迷惑をかけないように静かに散策しましょう。
意外と有名な場所なのでしょうか? 結構、海外からの観光客も見かけました。
金城町石畳道

金城町石畳道

金城町石畳道

金城町石畳道

内金城の御嶽
石畳道から横道にそれて大アカギを見に行く途中にある御嶽です。
この御嶽は、沖縄の鬼餅(ムーチー)伝説の発祥の地とも言われてます。 沖縄では旧暦の12月8日にムーチーと言う行事があり、餅を神仏にお供えする風習があります。
鬼になってしまった兄を妹が退治する伝説で、内容は知っている人も多いと思います。 鬼に瓦入りの餅を食べさせ、鬼が硬い餅を平気で食べる妹に「どういう口をしているのか?」と質問した所、「下の口で食べる」といってアソコを見せるとそれに驚いた鬼を崖から突き落とすと言う逸話です。
寂しさから鬼になってしまった兄が救われない話ですが、昔話しにはそういうのが多いですね...。
金城町石畳道・内金城の御嶽

この先にあるのが大アカギ
金城町石畳道・大アカギへ

大アカギ
樹齢 200年以上のようで、下の方に大きな穴が開いています。
沖縄戦の戦火を耐え抜いた事自体が奇跡のような大木です。 また、これだけの大木が住宅地の中にあるのも不思議です。 とにかく、その大きさに圧倒されます...。
金城町石畳道・大アカギ

大きさが伝わりにくいですが、右下の方に小さく人が写っています。
最初、御嶽にあったアカギが大アカギだと思ったのですが、それよりもかなり大きいです。
金城町石畳道・大アカギ

金城村屋
石畳道をしばらく下ると、古民家のような建物が見えてきます。
金城村屋は、町の集会所のようですが、観光客の休憩所として開放されています。
見た目は古民家のような建物ですが、1996年に建てられた建物です。
金城町石畳道・金城村屋

金城町石畳道・金城村屋

金城大樋川跡(カナグシクウフフィージャー)
金城村屋のすぐ隣にある共同の井戸跡です。
周辺が石垣で囲まれた半月状の貯水池です。 多分、湧き水を溜めている感じだと思います。
昔、集会所があった場所は広場だったらしく、坂道を登ってきた人馬がここで喉を潤していたようです。 今でも水が溜まってました。
金城町石畳道・金城大樋川跡

仲之川
金城大樋川跡から横道に入ると仲之川があります。
東に金城大樋川、西に寒水川樋川がある事から仲之川と呼ばれるようになったようです。
水量が豊富だった事から、王府時代は首里城の御用水にもなっていたようです。
寒水川樋川は少し離れているので、今回はそこまでにして石畳道へ引き返します。
金城町石畳道・仲之川

金城町石畳道・仲之川

新垣ヌカー
石畳道のすぐ横にありますが、首里城側から歩いてきた場合、通り過ぎてしまう可能性があります。
ここにあった屋敷の主だった新垣恒佳氏が、男子誕生を祈願して造った共同井戸です。
この辺りは、深い穴を掘らなくても水が湧き出てくるようなので、本土の井戸とはだいぶ雰囲気が違います。 このような場所が保存されている事も、昔の生活を伝える意味で良い事だと思います。
金城町石畳道・新垣ヌカー

首里城側から歩いた場合、ずっと下り坂なのでかなり楽です。
但し、こまったのが帰りのバスで、最寄りのバス停は 15系の石畳前で、この路線は1日数本しかありません。 時間が合わなかったので、 坂下琉生病院前のバス停まで 20分ちかく歩く事になりました..。 すごくいい場所なので、もう少し交通の便を良くしてくれると助かります..。

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