静岡県 井伊谷城とその周辺(2)2019年03月21日

井伊谷訪問、前回の続きです。

天白盤座遺跡
渭伊神社の裏にある薬師山にある遺跡です。 薬師山の遺跡の存在は知られていたようですが、草木に覆われていて全貌が判りませんでした。 1984年、雑木が伐採され遺跡が姿を現しました。 調査の結果、古墳時代から鎌倉時代まで使用された祭祀場跡と考えられています。
井伊谷・天白盤座遺跡

井伊谷・天白盤座遺跡

井伊谷宮
創建は 1872年(明治5年)で、御祭神は宗良親王(後醍醐天皇の皇子)です。
宗良親王は井伊谷で亡くなったと伝わる人物で、井伊谷宮の創建は明治天皇の思し召しによるものになります。 もっとも、宗良親王の墓は長野にもあるようなので、宗良親王最後の地としては諸説あるようです。
井伊谷宮・参道

拝殿です。
まずはここで参拝。
井伊谷宮の奥は龍潭寺と繋がっているので、このまま龍潭寺に向かいます。
井伊谷宮・拝殿

井伊谷宮・拝殿

拝殿から連なる建物で、一番奥に見えるのが本殿かと思います。
井伊谷宮・拝殿

龍潭寺
井伊直虎ゆかりの寺で、寺伝では奈良時代に行基が開創したと伝わります。
井伊直虎は井伊家の当主になる前は、龍泰寺に出家していました。
龍泰寺 1560年に井伊直盛を葬る際、直盛の法号から寺号が龍潭寺に変わります。
また、小野政次に井伊谷の領地を奪われた時、井伊直虎が逃れた場所でもあり、井伊家とは繋がりの深い寺院です。

井伊家の墓所です。 中央右が初代井伊共保、左が22代直盛の墓です。
直虎の墓は左列の奥から2番目。 左列の奥から4番目が24代直政の墓になります。
龍潭寺・井伊家の墓所

六体の地蔵様が並びます。
龍潭寺

続いて、開山堂が見えてきました。
1702年に八世徹叟和尚が建立した歴代住職の位牌を安置する御堂です。 なお、拝観料を支払えば本堂、開山堂の内部、および庭園を見学する事ができます。 残念ながら、井伊家御霊屋は修復工事中だったので見学できませんでした。
龍潭寺・開山堂

この鐘楼は 1971年に再建された物なので、比較的新しい建造物です。
大晦日には 108人限定で除夜の鐘を撞く事ができるそうです。
龍潭寺・鐘楼

独特な形をした東門です。 約400年前の建物で、龍潭寺では一番古い建物のようです。
元々は「鐘楼堂」だったようなので、門では無く鐘楼だったのかも知れません。
井伊直政の母、おひよは三河の武士、松下清景と再婚しており、清景の養子となった松下一定が寄進した物らしいです。
龍潭寺・東門

この立派な建物が1676年に建立された本堂です。
拝観料を支払い、本堂、開山堂の内部や庭園を見学しました。
庭園は小堀遠州作との事。
龍潭寺・本堂

龍潭寺・庭園

鑑賞席は2つあり、開山堂側は満席だったが、何故か庫裡側は貸し切り状態...。
おかげで少しのんびりする事が出来ました...。
龍潭寺・本堂

こちらが仁王門です。
1987年に建立された門なので、見た目よりも新しい門なようです。
この門から龍潭寺の外に出て、井伊家の祖、井伊共保出生の井戸を見に行く事にします。
龍潭寺・仁王門

井伊共保出生の井戸
龍潭寺からは少し離れた場所にあるので立ち寄る人は少ないのかも知れません。
井伊家の祖、、井伊共保が生まれたと伝わる井戸です。 井戸の傍らには橘の木が生えており、「橘」は井伊家の家紋にも使われています。
井伊共保出生の井戸

井伊共保出生の井戸

ホテルの冊子で知り、思い付きで訪問した場所でしたが、井伊家ゆかりの井伊谷は見所の多い場所でした。 歩いて回れる距離にいろいろあるのも良かったです。