静岡県 井伊谷城とその周辺(1)2019年03月21日

井伊谷城訪問の切っ掛けは、大河ドラマ「井伊直虎」ゆかりの地を紹介するルートインホテルの無料冊子の記事でした。 ちょっと興味が湧いたので散策してみる事にします。
井伊谷城は 1032年に井伊共保によって築城されたと伝わる城ですが、築城当初は井伊家の本拠地では無かったようです。
井伊家は井伊谷を中心に勢力を伸ばし、今川家の家臣となりますが、今川義元が桶狭間の戦いで討ち取られた後は苦難の時代が続きます。 井伊家は今川家の圧力によって徳政令を公布した 1568年には井伊谷の領地を失いますが、遠江侵攻を開始した徳川家康の助けもあり後に復権します。 武田信玄の侵攻により井伊谷城は再び奪われますが信玄の病没により武田軍は撤退します。 この辺りは運も味方している感じがします。
家督を継いだ井伊直政が彦根藩主となり拠点を移した後、井伊谷城は城としての役割を終えたようです。

浜松市地域遺産センター
バイクはここの駐車場に停めさせてもらいました。 ここは、井伊谷の歴史資料展示以外にも周辺地図などが置かれているので最初に訪問すると良いかと思います。
一通りの資料を見学した後、井伊谷城に向かう事にします。
浜松市地域遺産センター

雨が降った後でしたが、井伊谷城への登城路は舗装されているので影響はありませんでした。 ただ、思ったよりも坂がキツく、冬服だったので汗をかいてしまいました。
井伊谷城・登城路

大手口の虎口
山頂にある本丸の入り口である大手口に到着。 土塁によって築かれた虎口跡は今でも確認する事ができます。 案内板に掲載されていた3D画像を見ると、向かって右側が少し前に出ており、横矢を意識した構造のようです。
井伊谷城・大手口

井伊谷城・大手口

本丸跡
山頂にある本丸を囲む土塁の跡は今でも確認できます。 本丸の周辺に曲輪が無く、「本丸」と言うより「居館跡」と言った印象を受けます。
先程まで雨が降っていたので、山頂からの眺めも少しモヤがかかってました。
井伊谷城・本丸

井伊谷城・本丸の土塁

写真中央付近の林のような場所が龍潭寺や井伊谷宮がある所です。
井伊谷城・本丸からの眺め

山頂で地元のボランティア・ガイドらしき人から二宮神社側のルートを教えてもらいました。
「滑るけど、注意して歩けば大丈夫」との事なので、二宮神社側に下山する事にします。
実際に歩いてみると本当に滑るので、雨の降った後などは注意してください。
井伊谷城

二宮神社
祀られているのは多道間守と宗良親王の二柱です。
多道間守は、延喜年間(901 ~ 923年)に荘司として井伊谷に入った三宅好用の始祖とされます。 その好用の子孫である井端谷篤茂の娘の子が井伊家の祖、井伊共保であるとの説があるそうです。
宗良親王(後醍醐天皇の皇子)は、井伊谷城で最後を迎えたとの説があり、後からこの神社に祀られたようで、その時に「三宅神社」から「二宮神社」に名前が変わったようです。
井伊谷・二宮神社・本殿

井伊谷・二宮神社・本殿

本殿の隣にある天王社です。
但馬神社、伊雑皇神社、明神神社、鎌足神社、鹿島神社の5社を合祀した社です。
井伊直虎を井伊谷城から追いやった小野政次は、遠江侵攻を開始した徳川家康によって攻められ逃亡しますが捕まり処刑されます。
それを哀れんだ人々によって建てられたのが但馬神社です。
井伊谷・二宮神社・天王社

足切観音堂
二宮山円通寺は、矢を受けた宗良親王の身代わりに片足が血まみれになったとされる観音像を安置する為に創建されました。 武田軍の侵攻により本尊を残して寺は焼失しましたが、1694年に観音堂が再建されます。
現在、円通寺は明円寺と合併して晋光寺になっています。
井伊谷・足切観音堂

井伊谷・足切観音堂

小野政次終焉の地
小野政次は井伊家の家老でしたが、主君である今川家に通じる監視役のような存在だったようです。 一度は井伊領を奪いましたが長くは続かず、最後は2人の子供と共に処刑されてしまいます。 ここは供養塔がある場所で、実際の処刑場は別の場所らしいです。
井伊谷・小野政次終焉の地

井殿の塚
井伊直政の祖父、直満とその弟の直義が祀られている塚です。
2人は、小野政直(政次の父)の讒言によって謀反の嫌疑をかけられ殺害されます。
井伊谷・井殿の塚

井伊谷・井殿の塚

続いて天白盤座遺跡に向かいます。