高館義経堂、無量光院跡 ― 2013年09月06日
毛越寺、中尊寺の側の小高い丘にある御堂です。
1189 年、源頼朝の圧力に耐えかねた奥州藤原氏4代泰衡の襲撃により、義経は妻子とともに自害しました。 首は鎌倉に運ばれ、体はこの地に埋葬されました。
1683 年に伊達綱村によって義経堂が建立されました。 現在の建物は 1808 年に再建された物です。 この御堂には本尊として義経公の木像が祀られています。
すぐ近くに有名な芭蕉の句碑がありました。
「夏草や 兵共が 夢の跡」
1689 年、芭蕉は弟子の曽良を連れて平泉を訪れました。 高館から草原を眺めた芭蕉は、有名なこの句を詠みました。
芭蕉が見たのも、こんな感じの風景だったのでしょうか?
無量光院跡
無量光院は奥州藤原氏3代秀衡が建立した寺院で、京都の平等院を模したとされています。 現在は礎石や池の跡などが残る程度で、当時の面影はほとんどありません。 この遺構は、平泉の世界遺産構成要素の一つです。
正直、ここは、素人が一人で来ても何が何だか解らないです。
ガイドさんとかに説明してもらいながら見て回った方が楽しそうです...。
当日は、発掘作業も淡々と進められてました。
ここは、もう少し下調べしてから来た方が良さそうですね..。
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