毛越寺 ― 2013年09月06日
毛越寺は岩手県西磐井郡平泉町にある寺院で、850 年に慈覚大師円仁によって中尊寺と同年に創建されました。
その後、荒廃しまいたが藤原基衡、秀衡らにより再興しました。 当時は大規模な寺院だったそうです。
藤原氏が源頼朝に滅ばされた後の鎌倉時代も、幕府によって保護されましたが、1226 年の火災や戦乱によりほとんどの建物が失われました。
2011 年には世界遺産に登録されています。
本堂
本堂は平成元年に平安様式で建立されました。 本尊は薬師如来です。
向かって右側に進むと南大門の跡があるので、この辺りは昔は敷地外だったのかも知れません。
大泉が池
この池が一番当時の面影を残しているのかも知れません。 当時は南大門から中島、中島から対岸の円隆寺へ橋が渡ってました。
出島石組と池中立石は、この池でも印象的な場所です。 この石は、毛越寺のパンフレットの表紙でも使用されてます。
開山堂
毛越寺を創建した慈覚大師円仁を祀るお堂です。 新しい建物なので最近建立された物でしょうか?
嘉祥寺跡
藤原基衡によって建設が始まり、秀衡の代で完成した御堂です。 嘉祥寺自体は、文献などから基衡が建立する前から存在していたようです。
当時は金堂円隆寺と同じ規模でしたが、現在は礎石のみしかありません。
講堂跡
嘉祥寺と金堂円隆寺の間にありました。
嘉禄(1225 ~ 1226年)の火災で焼失後に再建されましたが、 1573 年の戦乱によりまたもや焼失しました。 こちらも現在は礎石のみです。
金堂円隆寺跡
藤原の基衡が建立した勅願寺で、毛越寺の中心となる伽藍でした。
残念ながら、こちらも礎石のみです。 中尊寺とはえらい違いです。
遣水
川の水を池に導く水路を遣水と言います。 水路の底には玉石が敷き詰められています。 庭園発掘時に当時の姿のまま発見された遣水で、平安時代の遺構としては唯一のもです。
常行堂
本尊は宝冠阿弥陀如来像。 毛越寺はほとんどの建物が失われており、唯一と言っていい古い建物です。 現在の常行堂は 1732 年に伊達吉村によって再建された物です。
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