京都府 東本願寺2020年11月21日

東本願寺は京都府京都市下京区にある寺院で、正式名称は真宗本廟のようです。
現在は東本願寺、西本願寺に別れてますが、織田信長と大阪の石山本願寺が敵対するまでは一つでした。 織田信長と和睦する際、和睦派と徹底抗戦派で内部対立が発生します。 その後も後継者争いで対立は続き、本願寺の力を弱めたかった徳川家康が土地を寄進した事により分裂して東本願寺が出来ます。
不思議なのは世界遺産登録されているのは西本願寺の方だけで、東本願寺は含まれません。 過去の対立関係が影響しているのでしょうか?

JRバスで京都駅に戻る途中、西本願寺が見えましたが修繕工事を行っているようだったので、烏丸七条で下車して東本願寺の方に寄り道する事にします。

阿弥陀堂門
1911年に再建された門で、江戸時代には「唐門」と呼ばれていたようです。
上層部の中央に釈迦如来坐像。向かって右側に弥勒菩薩立像、左側に阿難尊者立像が安置されています。 仏像を安置するスペースがあるのは意外でした。 上に登れるような感じには見えませんでした。
東本願寺・阿弥陀堂門

鐘楼
1894年に再建された鐘楼です。
建立年代から推測するに、こちらも 1864年の火災で焼失したのだと思います。
現在の鐘楼で使用されている梵鐘は 2010年に鋳造された物です。 1604年の創建当時の梵鐘は少し離れた場所に展示されていました。
東本願寺・鐘楼

こちらが 1604年に鋳造された梵鐘です。
高さ 256cm、口径 156cm の大きさは、慶長年間に鋳造された梵鐘の中では5番目の大きさになります。 (一番大きいのは京都方広寺で、奈良東大寺、羽黒山出羽三山神社、鎌倉円覚寺の順)
創建当時の鐘が現存していると言う事は、鐘の方は 1864年の火災の影響は無かったようです。
東本願寺・梵鐘

阿弥陀堂
非常に広々とした境内です。 門から建物までの距離を感じます。
間口 52m、奥行き 47m、高さ 29m は、隣の御影堂と比べると少し小ぶりですが、それでもかなりの大きさです。 
現在の建物は 1895年に再建された物です。東本願寺の建物は、 1864年の火災でほとんどが消失しているので、ほとんどの建物は明治時代以降に再建された物です。
東本願寺・阿弥陀堂

東本願寺・阿弥陀堂

東本願寺・阿弥陀堂

東本願寺・阿弥陀堂

御影堂
1895年に再建された建物で、、完成までに 15年もの歳月がかかりました。
間口 76m、奥行き 58m、高さ 38m もあり、木造建築物の床面積としては日本最大級です。
とにかく大きな建物で、屋根の瓦は約 175,000 もあります。 明治時代でも、これだけの木造建築物の資材を集めるのは、そうとう苦労したと思います。
東本願寺・御影堂

東本願寺・御影堂

東本願寺・御影堂

東本願寺・御影堂

御影堂門
御影堂の正面にある大きな門で、1911年に再建されました。
正面 21m、側面 13m、高さ 27m は、木造建築の山門としては世界最大級です。
こちらの上層部には、釈迦如来、弥勒菩薩、阿難尊者の三尊が安置されています。
東本願寺の建物は、とにかく巨大ですね...。
東本願寺・御影堂門

東本願寺・御影堂門

東本願寺・御影堂門

訪問時間が遅かったので、あっさりと閉門時間に...。
東本願寺は京都駅に近いので、逆に、立ち寄る事が少ない場所でした。
今度は、もう少し時間に余裕がある時に訪問する事にしましょう...。
東本願寺


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