京都府 蹴上インクライン2020年11月22日

明治維新の東京遷都により、京都の経済は衰退します。 その経済復興事業として、琵琶湖の水を京都に引き、動力、舟運、かんがい等に利用できる琵琶湖疏水が計画されます。
琵琶湖疏水の工事は 1885年8月に開始され、4年以上の歳月をかけて 1890年4月に完成します。 高低差が大きい蹴上船溜と南禅寺船溜の間はレールの上を台車で運ぶ事となり、蹴上インクラインが作られます。 昭和に入ると鉄道網の発展により、インクラインの需要は減り、1948 年に蹴上インクラインは廃止になります。

蹴上インクラインへは、京都市営地下鉄東西線の蹴上駅からが一番近いと思われますが、バス1日乗車券を利用していた為、訪問当日は「南禅寺・永観堂道」バス停で下車して歩く事にします。 5~10分程度歩くと南禅寺橋に到着し、そこからインクラインの線路跡が見えます。
蹴上インクライン

仁王門通りを線路跡に沿って歩くと線路内に入れる場所がありました。
奥に見るのが先ほど歩いてきた南禅寺橋。
蹴上インクライン

南禅寺船溜
琵琶湖疏水は現在でも使われているようで、今でも勢いよく水が流れています。
南禅寺橋より先のインクラインは水路で行き止まりになっており、その辺りが南禅寺船溜だったようです。 ここから先は進めないので引き返す事になります。
蹴上インクライン・南禅寺船溜

蹴上インクライン・南禅寺船溜

三十石船
当時の琵琶湖疏水で使用されていた運輸船を復元した物です。
蹴上船溜から南禅寺船溜の間は、このように船ごと台車に乗せて傾斜を利用して運びました。 インクラインは傾斜鉄道の事で、船から荷物を降ろさずに運搬する事を可能にしていました。 当初は水車動力を想定していたようですが、1888年には水力発電が行われ、電力駆動に変更されます。
蹴上インクライン・三十石船

蹴上インクライン・三十石船

線路脇にあった古い建物。
何の建物なのかは不明でした。 インクラインの運用に関わった建物でしょうか?
窓から書類が収められた棚のような物が見えるので、廃墟では無さそうです。
印象的な建物です。
蹴上インクライン・古い建物

実際に線路を歩いてみると、意外と傾斜があります。
勾配 15分の1で、落差 36m あります。 蹴上船溜~南禅寺船溜の距離は 582m で、建設当時、インクラインとしては世界最長だったようです。
蹴上インクライン

蹴上インクライン

インクライン上部の蹴上船溜に展示されている三十石船と台車。
奥には台車の運搬に使われたと思われる、大きな滑車が見えます。
線路は水中まで伸びていて、水中の台車の上まで船を進めて引き上げていたようです。
でも、あの斜面をこの大きさの台車が荷物を満載して下る事を想像すると、少し危うさを感じます。 安全対策とか、大丈夫だったのでしょうか?
蹴上インクライン・三十石船

義経地蔵
平安時代末期、義経が鞍馬山から奥州へ向かう途中、すれ違った平家一団の一人が誤って泥を撥ねて義経の服を汚すと、義経は平家一団の9人を切り殺します。
その供養として9体の石仏が造られ、その1体がここに祀られていると伝わります。
蹴上には、そんな言い伝えもあるようです。
蹴上インクライン・義経地蔵

蹴上船溜
橋の上から南禅寺船溜側を眺めた所。
奥には先ほどの台車があり、左奥には義経地蔵が鎮座しています。
昔はここから多くの船が台車に乗って行き来していたのだと思います。
蹴上インクライン・蹴上船溜

トンネルがあるのが琵琶湖側。
右手前の白い建物のある付近は、後から埋め立てて建てられた水道用の取水施設のようです。 昔はもっと広い船溜だったようです。
白い建物の奥に見えるレンガ造りの建物が旧御所水道ポンプ室。 京都御所に防火用水を供給していたようです。
蹴上インクライン・蹴上船溜

蹴上~大津間をびわ湖疏水船が運行しているようです。
事前予約が必要ですが、いつか乗ってみたいですね。


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