島根県 太皷谷稲成神社2022年05月01日

津和野城で帰り支度をしていると、リフト乗り場の駐車場よりも上に登って行く車が多い事が気になりました。 Google Map で調べて見ると、少し登った所に太皷谷稲成神社がある事が分りました。
少し時間に余裕があるので、ホテルに帰る前に、そちらにも立ち寄ってみる事にします。

道路がカーブしてたので見えなかったのですが、リフト乗り場の駐車場から少し登ると大きな鳥居が見えてきました。 予想以上に近かったです。
太皷谷稲成神社・鳥居

思ったよりも大きな駐車場でした。
少し傾斜しているので、バイクを停める時は少し気を遣うかも知れません。
以前、黒部ダムに行った時、駐輪場が急な斜面だったのでバイクから降りるのに恐怖を感じた事を思い出します。
朱色の綺麗な神社で、思ったよりも大きいです。
太皷谷稲成神社・駐車場

お供え物の稲荷とろうそくを購入。 稲荷神社なので、お供え物は油揚げでした。
太皷谷稲成神社は津和野藩主、亀井矩貞が 1773年に津和野藩の守護として伏見稲荷大社から勧請したのが始まりのようです。 廃藩置県までは藩主以外の参拝は禁止されていたようです。
参拝者が増えると手狭になった為、境内の拡張が行われ 1969年に現在の社殿が竣工したようです。
太皷谷稲成神社・お供え

広々とした境内です。
創建時はこんなに大きくは無かったはずです。
山を切り開いて建てらてたようなので、地盤を考慮しての事でしょう。地面はコンクリートでした。
太皷谷稲成神社

新殿
御祭神は、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)です。
宇迦之御魂神は、いわゆる「お稲荷さん」の事。 狐は「お稲荷さん」の「使い」です。
何となく神様の使いである「狐」の方が目立つ存在になってしまいましたね...。
太皷谷稲成神社・新殿

元宮
歴史的には、ここにある元宮が、亀井矩貞が創建した稲荷神社だったようです。
1867年に、藩内の神社を整理した際、熊野権現社を合祀して熊野神社に名前が変わったようです。
1923年に現在の社殿が建てられ、昭和に入ると稲荷神社に戻ります。
1969年に新殿が建てられると「元宮」に改名されます。
祀られている神様は今でも熊野大神と、稲成大神です。 でも、見た目は稲荷神社ですね...。
太皷谷稲成神社・元宮

太皷谷稲成神社・元宮

表参道
下から登ってくる場合、この表参道を通ってくるようです。
鳥居が連なるこの風景は、いつ見ても独特な雰囲気が伝わってきます。
でも、下からこの階段を登ってきたらキツそうですね...。
太皷谷稲成神社・表参道

太皷谷稲成神社・表参道

太皷谷稲成神社・表参道

稲荷神社っぽい手水舎です。
コロナ過により、柄杓は無くなってしまいましたね..。
流れてる水で直接手を清めるスタイルが定着しつつあります。 柄杓は、このまま死滅してしまうのでしょうか...。 それも時代の流れなのかも知れませんが..。
太皷谷稲成神社・表参道

神門
表参道を登って、手水舎で清め、神門を通るのが通常の参拝ですが、上の駐車場からだとここは通らないかも知れません。
綺麗な神門です。 扉が閉じてるのは神様専用だから?
太皷谷稲成神社・神門

新殿の裏には神殿裏奉拝所があります。
拝殿の後ろに小さな拝所がひっそりとある所を偶に見かけます。
こっそりお願いしている感じが良い感じです。
太皷谷稲成神社では、境内にある4か所の参拝所を順にお参りする習わしがあるようです。
「元宮」→「命婦社」→「新殿」→「神殿裏奉拝所」の順らしいですが、今回はバラバラです。 しかも、命婦社には行ってない...。
太皷谷稲成神社・新殿裏へ

太皷谷稲成神社・神殿裏奉拝所

さぁ、そろそろ帰りましょう。
太皷谷稲成神社・神殿横

ホテルへの帰り道、国道9号を走っていると、山口線を走るSLとしばらく並走する事に。
蒸気機関の音。 汽笛の音、煙の臭い。 電車では感じた事の無い躍動感を感じます。
機関車を動かせる状態で保存するのは大変な苦労があると思います。
並走した時のドラレコ動画は残念ながらローテーションで消えてしましたが、先回りして慌てて取ったスマホで取った写真が数枚。 良い思い出になりました。
津和野でSL

津和野でSL

津和野でSL

神社に寄り道しなければ、出会えなかったかも知れない光景です。