広島県 宮島(3) ― 2019年01月05日
前回の続きです。
弥山は弘法大師空海が100日のおよぶ求聞持法の修業をした場所と伝わる山です。
厳島神社から弥山までの間にある弥山原始林は世界遺産にも登録されています。
山頂の弥山展望台でしばらく風景を楽しんだ後、干満岩側のルートを通って下山する事にします。
古くから信仰の対象となっていた山の為か、山頂付近にも石仏が点在していました。
上から見ると、山頂付近の険しさが解ります。
今は階段が整備されていて簡単に登れますが、昔は山頂に登るのは大変だったと思います。
干満岩
下山して少し進むと弥山七不思議の一つ、干満岩が見えてきました。
大きな巨石に不思議な穴が開いており、穴の中の水位が潮の満ち引きよって変化すると伝わります。 また、水には塩分が含まれているそうです。
この穴がどうやって開いたのか、とても不思議な岩です。
大日堂
干満岩から更に下山すると大日堂が見えてきます。 1599年に毛利輝元によって再建された建物のようです。 最初に建立された年代は不明なようですが、少なくとも 1300年頃には存在していたようです。
山裾にある大聖院は、昔は弥山全体を伽藍とする寺院だったようです。
弥山本堂を通過し、ロープウェイ乗り場まで戻り下山する事にします。
ロープウェイは途中の「かや谷駅」で乗り換えます。
大聖院・仁王門
紅葉台駅から遊歩道を歩きながら大聖院に向かいます。
大聖院は空海が弥山で修業をした 806年に開基したと伝わりますが、正確な所は不明なようです。 空海が宮島に訪れたと言う事自体がはっきりしていないようです。
大聖院は明治天皇の行幸で行在所にも使われた場所ですが、1887年の火災でほとんどの建物を焼失しています。 仁王門も 1939年に再建された物です。
大聖院・御成門
ちょっと長めの階段を登った先にあるのが 1914年に再建された時御成門です。 階段の左側には五百羅漢が並んでおり壮観です。 帰りはそちらを通ってみましょう。
この門の先が寺院の中心部になります。 正月なので「謹賀新年」の額が飾ってありますね。
大聖院・観音堂
御成門を通って右側に見えるのが境内で一番大きな建物である観音堂です。
「明治天皇行在所跡」との看板があるので、明治天皇はここに滞在したのかも知れません。
ただ、明治天皇が行幸した後に観音堂も火災で焼失しており、現在の建物は 1932 年に再建した物である事から、実際に行在所として使用された建物では無さそうです。
観音堂は「戒壇めぐり」が出来ます。 建物地下の暗闇の中を、壁に手を付けながらゆっくりと参拝します。
大聖院・摩尼殿
観音堂から少し登った場所にあるのが摩尼殿です。
階段の中央にある般若心経が刻まれた筒は、回すとお経を1巻読んだのと同等の功徳が得られると言われる「摩尼車」と呼ばれる物です。
ここは三鬼大権現の祈祷所として建てられた御堂です。 三鬼大権現は鬼の神様で、弥山にあった三鬼堂にも祀られていました。
大聖院・大師堂
弘法大師空海を祀る御堂で、創建年代は不明ながら大聖院で一番古いと伝わります。
正確な所は不明ですが、この建物も明治の火災後に再建された物かと思います。
大師堂の地下には「遍照窟」と呼ばれる人口の洞窟があり、一巡すると四国八十八箇所を巡ったのと同じ御利益があるとされています。
遍照窟内は幻想的な雰囲気でしたが、写真を撮って良いのか不明だったので今回は撮影を控えました...。
大聖院・五百羅漢
帰りは五百羅漢の中を通って行く事にします。 ここの眺めは圧巻です。
五百羅漢像は全て毛糸で編まれた帽子をかぶっています。
石仏自体は意外と新しそうですが、何時頃からここに安置されているのでしょうか...。
大元神社
大聖院を後にし、遊歩道を通って大元神社に向かいます。
1168年の「伊都岐島神社主佐伯景弘解」に大伴社と書かれているのが大元神社と考えられています。 厳島神社よりも古くから存在すると言った伝承もありますが正確な創建年代は不明なようです。 現在の本殿は 1523年に再建された物で、大元神社も世界遺産の構成要素に含まれているようです。
長浜神社
最後に、宮島桟橋の近くにある長浜神社を参拝しました。 厳島神社の摂社です。
観光地の中心とは反対側な為か参拝者はだれもいませんでした。
祀られているのは興津彦命、興津姫命で、釜戸の神様のようです。 2人は兄妹のようです。
いつ頃から鎮座しているのかは不明なようです。
今回は電車移動だったので、意外とのんびりとした旅になりました。
バイク旅だとひたすら移動し続けている感じがあるので、たまにはこういうのも良いですね...。
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