静岡県 諏訪原城2019年03月22日

諏訪原城は 1573年、武田勝頼の命を受けた馬場美濃守信房によって高天神城攻略の拠点として築城されました。
勝頼は高天神城の攻略には成功しますが長篠の戦で敗れ、1575年には諏訪原城も落城します。 落城後は牧野城と改名され家康の家臣が城主になります。
1581年に高天神城が落城すると重要性が失われ 1590年には廃城となります。 比較的短命な城だったようです。

諏訪原城ビジターセンター
見学者用の駐車場がありますが、訪問当日は諏訪原城ビジターセンターの落成式を行う準備中で駐車場が使用できませんでした。 ビジターセンターは翌日オープンだったので非常にタイミングが悪かったです...。 落成式まではまだ時間があったので、関係者の方にお願いして駐車場の端にバイクを停めさせてもらいました。
諏訪原城ビジターセンター

諏訪原城に入ると続100名城のスタンプ置き場がありました。 諏訪原城ビジターセンターがオープンした後はそちらで押せるそうです。
諏訪原城のスタンプ置き場

大手曲輪と大手南外堀
現在、茶畑になっている付近が大手曲輪があった場所らしいです。 畑のすぐ側に大手南外堀の跡があります。
諏訪原城・大手曲輪

多分、この部分が大手南外堀。 発掘調査では幅約5m、深さ3.3m もあったらしいです。
底の方が狭くなる、V字型をした薬研堀だったようです。
この先に三日月堀と馬出がありました。 現在は馬出部分に諏訪神社が鎮座しています。
諏訪原城・大手南外堀

外堀
二ノ曲輪西側を守る大きな外堀です。 諏訪原城では一番大きな堀です。
右側の大きな土塁の奥が二ノ曲輪になります。
諏訪原城・外堀

大手北外堀
先程の外堀から垂直方向に延びる外堀です。 大手曲輪は二ノ曲輪の手前にある正方形に近い形をした曲輪で、この外堀は大手曲輪の北側を守っています。 大手曲輪の外側には大きな半月状の馬出もあったようです。
発掘調査では幅 5m、深さ 6m もある大きな堀だった事が判明しています。 保存の為だと思いますが、発掘調査後は埋め戻されているようです。
諏訪原城・大手北外堀

惣曲輪
大手北外堀を挟んで大手曲輪の北側にあるのが惣曲輪です。 大きな曲輪で現在は雑木林や畑になっているようです。
惣曲輪とは城下全体を堀や土塁で囲んだ物らしいので、この辺りは城下町だったのかも知れません。
諏訪原城・惣曲輪

二ノ曲輪中馬出
二ノ曲輪から惣曲輪への出撃口となる馬出で、馬出の外側を守る巨大は三日月堀です。
写真からは大きさが伝わりにくいのですが、安全対策用の手すりと比較すると巨大さが解ると思います。 この堀の大きさには圧倒されました。
諏訪原城・二ノ曲輪中馬出

諏訪原城・二ノ曲輪中馬出

二ノ曲輪北馬出
先程の三日月堀から北側に掘が伸びており、その先には二ノ曲輪北馬出があります。
二ノ曲輪中馬出とは細い土橋のような通路で繋がっています。 馬出の出入り口がさらに馬出になっている感じかと思います。
発掘調査で門の礎石が見つかった事から薬医門が復元されています。
諏訪原城・二ノ曲輪北馬出付近の堀

諏訪原城・二ノ曲輪北馬出

二ノ曲輪
二ノ曲輪中馬出と二ノ丸の間には大きな外堀があり、その間は細い土橋で繋がっています。
また、発掘調査により二ノ曲輪の出入り口には城門の礎石跡も見つかっています。
南北に延びる大きな曲輪で、中央部分には曲輪を南北に仕切る土塁があります。 土塁付近では石垣らしき跡が見られました。
諏訪原城・二ノ曲輪

諏訪原城・二ノ曲輪の仕切土塁付近

諏訪原城・二ノ曲輪の仕切土塁

内堀と本曲輪虎口
二ノ曲輪と本曲輪の間には南北に延びる大きな内堀があります。
また、二ノ曲輪と本曲輪は細い土橋で繋がっています。 発掘調査で徳川時代と思われる城門の礎石跡も見つかっているようです。
諏訪原城・内堀

諏訪原城・本曲輪虎口

本曲輪
発掘調査では焼土が見つかっており、それより下が武田氏の時代、上が徳川氏の時代の遺構と考えられています。 焼土が見つかったと言う事は落城時はここでも激しい戦いが行われたのかも知れません。
曲輪内には低い石垣跡のような物もあり、案内板を見るとこの石垣は通路跡だったのかも知れません。
諏訪原城・本曲輪

諏訪原城・本曲輪

本曲輪からの眺め。 北側は急斜面になっており、自然の地形も活用しています。
諏訪原城・本曲輪からの眺め

カンカン井戸
本曲輪と二ノ曲輪の間にある内堀の底にはカンカン井戸と呼ばれる井戸があります。
堀底に井戸があるのも珍しいかと思います。
諏訪原城・カンカン井戸

内堀の底からは谷底に延びる通路のような物があり、この先に水の手曲輪があります。
実際に下りてみたのですがあまり整備されておらず、曲輪っぽい雰囲気でも無かったので引き返して来ました。
諏訪原城・水の手曲輪へ

二ノ曲輪大手馬出
二ノ丸の南側を横切ると、散策を開始した時の駐車場近くにあった二ノ丸大手馬出に出ます。
外からは木で覆われていて形状がりませんでしたが、内側からは馬出への土橋が良く解ります。 馬出には現在は諏訪神社が鎮座しています。
諏訪原城・二ノ曲輪大手馬出

二ノ曲輪東内馬出
外堀沿いに二ノ丸を南下すると二ノ曲輪東内馬出に出ます。
二ノ丸南側は複数の小さな馬出が折り重なっている複雑な構造になっています。
二ノ曲輪との境目にある堀は発掘調査で、武田氏の時代は薬研掘だったものを徳川氏の時代に箱掘に変えた痕跡が見つかっているそうです。
諏訪原城・二ノ曲輪東内馬出

二ノ曲輪南馬出
ここも南側に折り重なる小さな馬出の一つです。 この近くに先程の東内馬出の外側にある東馬出があるのですが、行き方が判らなかったので散策はここまでとします。
あまりのんびりしてビジターセンターの落成式が始まるとバイクが出せなくなる可能性があるので急いて駐車場に戻ります。
諏訪原城・二ノ曲輪南馬出

諏訪原城は案内もしっかりしており、遺構の保存状態の良さそうでした。
短命な城でしたが、武田氏の築城技術が良く解る城跡かと思います。