埼玉県 誠之堂、清風亭2025年02月09日

大寄公民館に移築された、渋沢栄一ゆかりの煉瓦建築を見学する事にします。
場所的には先ほど見学した尾高惇忠生家からそれほど離れてません。 歩いても、それほど時間はかからないと思います。

大寄公民館 駐車場
そこそこ大きな駐車場があるので、駐車スペース的には十分だと思います。
また、駐輪スペースの確保されているので、バイクはそちらに停める事にしました。
誠之堂、清風亭の見学は、奥に見える大寄公民館で受付してからになります。
ここからだと大寄公民館の陰に隠れて誠之堂、清風亭は見えません。 駐車場の奥に行けば見えるかも知れませんが..。
大寄公民館・駐車場

誠之堂
予想以上に美しい建物でした。
誠之堂は、渋沢栄一の喜寿を記念して第一銀行行員の出資によって 1916年に東京都渋谷区に建てられた洋館です。 現在の場所には 1999年に移築されました。
渋沢栄一が創設した第一国立銀行は、明治 29年(1896年)に国立銀行条例によって株式会社第一銀行に変わります。 栄一は初代頭取を務めますが、喜寿を迎えた時に辞任します。
煉瓦建物の移築方法が気になったのですが、煉瓦壁を出来るだけ大きく切断し、移動先で組み立てる方法で移築したようです。
誠之堂

誠之堂

三色の煉瓦を使ったフランス積みの建物で、凄く美しい外壁です。
色合いが均一になるように緻密に計算して三色の煉瓦が配置されています。
設計者の田辺淳吉は「西洋風の田舎屋」の要望を受けて、このような建物に仕上げたらしいです。 素晴らしいセンスですね..。
なお、移築する時の解体工事で、煉瓦から「上敷免製」の刻印が見つかっており、この建物の煉瓦が日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦である事も確認されています。
誠之堂

訪問時は他の見学者がいなかったので貸切状態でした。
おかげでじっくりと見学する事が出来ました。
外観からは分からなかったのですが、天井がアーチ状になっている所も凝っています。
海外の田舎にある小さな教会みたいな感じですね..。
誠之堂

暖炉は塞がれているようです。
煙突もあるので飾りでは無いと思います。 多分、移築先で使う事が無いので移築時に塞いでしまったのでしょう...。
レリーフの上の文字が古い書体で書かれた漢文のようです。 何が書かれているのか読めませんが、多分、渋沢栄一について何か書かれているのでしょう..。
誠之堂

ステンドグラスが東洋風の絵柄になっています。
基本的に洋館ですが、所々に東洋風の要素が入っている建物です。
訪問時は気にも留めなかったのですが、北側の外壁には「喜寿」の文字を型取って煉瓦が積まれている場所があったらしいです..。
誠之堂

誠之堂

良い建物です。
小集会所として第一銀行付属の運動場に建てられたようです。
かなり立派な建物ですが、これって、一般社員も利用出来たのでしょうか?
なお、2003年に国の重要文化財の指定を受けています。
誠之堂

清風亭
大正 15年(1926年)、当時第一銀行の頭取だった佐々木勇之助の古希を記念して建てられました。 勇之助は、渋沢栄一の後継として第一銀行頭取になった人物で、多方面に渡って栄一の活動をサポートしていたようです。
こちらの建物も誠之堂と同様に第一銀行行員の出資で建てられました。
清風亭は誠之堂の隣にあり、誠之堂と同じく現在の場所に移築されました。
こちらはスペイン風様式の鉄筋コンクリート製の建物です。
清風亭

清風亭

清風亭

白い外壁の影響かも知れませんが、エーゲ海とかにありあそうな建物です。
この建物を建てる数年前に関東大震災があり、それを契機に建物の構造の主流は煉瓦造りから鉄筋コンクリート造りに変わって行きました。 この建物は、日本の鉄筋コンクリート造りの建物としては初期の物になります。
そうなると、関東大震災を耐え抜いた誠之堂を設計した田辺淳吉はたいした人ですね...。
清風亭

清風亭

広々とした内部です。
建てられた直後は佐々木氏の雅号を取って「茗香記念館」と呼ばれていたようですが、その後、「清風亭」に変わります。
元々、雅号は文化人が名乗る「ペンネーム」のような物だと思うのですが、明治時代以降は文化人以外も使うようになっていたようで、佐々木勇之助もそんな感じで雅号を名乗っていたのかも知れません。
立派な建物ですが、何に使っていたのでしょうか...。
清風亭

出窓部分は微妙な曲線になっており、建てる側からしたら面倒そうな構造です。
また、窓の両側がステンドグラスになっている凝った作りです。
清風亭

ベランダ側には大きなガラスドアが4つ並ぶ構造です。
やっぱ、偉い人の会議室のような場所ですかね..。
清風亭

こちらの建物にも暖炉があります。
かなり広い大広間なので、冬場はこの暖炉だけでは寒そうですね..。
こちらの建物もある程度の大きさに切断して運び、この場所で組み立て直したようです。
鉄筋コンクリート製の建物を切断して運ぶのは大変そうですね..。
清風亭

もしかしたら解体されていたかも知れない建物が、こうして保存されているのは深谷市の判断のおかげです。 良い仕事をしたと思います。


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