兵庫県 明石城 ― 2018年09月15日
明石城は兵庫県明石市にある日本100名城の一つで、現在は県立明石公園として管理されています。
明石城は 1617年に明石藩主となった小笠原忠真によって 1619年に築城され、徳川幕府が西国の外様大名を抑えるのを目的としています。
主な城主は松平氏で、明治の廃城令により廃城となります。 1883年には明石公園として整備されていたようなので、廃城後、かなり早い時期から公園だったようです。
バイクの駐輪場は県営駐車場付近にありました。
県営駐車場は、県立図書館や球技城/自転車競技場の近くにあります。
駐輪場から東の丸の方に向かいます。 図書館を過ぎると薬研堀と石垣が見えてきます。
堀底が医療器具の薬研(薬草をすりつぶす器具)のようにV字型に狭くなっている事から、そう呼ばれているらしいです。
石垣は打ち込みハギのようで、石材もかなり加工されている感じがします。 石垣の上のネコが悠々と散歩してました。 自由な感じが良いです。
東の丸の虎口
石垣の保存状態は良好なようです。
恐らく、この辺りには立派な門があったと思いますが、石垣の配置が複雑なので、どんな門だたのか想像が付きにくいですね...。
二ノ丸の虎口
大手門から二ノ丸への入り口となる場所です。
ここの石垣は明石城の見所の一つかと思います。
巽櫓
明石城築城時に船上城から移築された物らしいです。
櫓の1階部分は、日によって一般公開されているようですが、残念ながらこの日は公開されてませんでした。
坤櫓
土塀を挟んで反対側にあるのが坤櫓です。 こちらは築城時に伏見城から移築された物らしいです。 巽櫓、坤櫓ともに、阪神淡路大震災では被害を受けましたが現在は修復されています。 また、この土塀もその時に復元された物らしいです。
天守台
本丸には大きな天守台が存在しますが、天守は築かれなかったようです。 四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓の4つの櫓が建てられましたが現存するのは2つです。 艮櫓は建築材料として 1881年に解体、乾櫓も 1901年に解体されました。
天守台には登れるようですが、登り口が見当たらず、そのまま通過してました。
本丸北の虎口から外に出ます。
ここにも立派な門があったと思います。
本丸北側の石垣を左手に眺めながら坂を下ります。
ここは左の石垣の上から狙われると身を隠す所が無いので、攻める側からするとかなり危険な場所に思えます...。
稲荷曲輪北側の虎口です。
播磨国明石城絵図を見た感じ、この辺りに櫓門があったようです。 また、絵図では稲荷曲輪は西曲輪と記載されているので、昔は呼び方が違ったのかも知れません。
稲荷曲輪から見た本丸西側の石垣です。
この辺りの石垣は二段構造になっています。 防御面から考えるとメリットが無いように思えるので強度を維持する為の補強でしょうか?
この先の石垣が天守台だったのですが、気付かずにそのまま通過してました...。
坤櫓を通過し、先に進むと稲荷曲輪南側の石垣が見えてきます。
ここの石垣はかなりの高さがあり、威圧感を感じさせます。
日本100名城のスタンプを押しに、明石公園サービスセンターを目指します。
「食三昧市」のイベントが行われていたようで、広場に出ると沢山の出店が出てました。
ちょうど良かったので昼食として「那珂湊焼そば」を買って食べました。 ちなみに、「那珂湊焼そば」は茨城県のご当地グルメなので明石とは関係無さそうです...。
明石公園サービスセンター
公園の正面入り口(大手門口)から入ると右側にあるこの建物がサービスセンターです。
中に入ると日本100名城のスタンプが置かれてました。
今回の兵庫県の旅、1個目のスタンプです。
大手門虎口
ここがメインとなる入口になります。 こちらも城門は残ってませんでした。
ただ、平成31年に築城 400 周年を迎えるにあたり、当時の写真などを参考に大手門の復元を検討しているそうです。 最近は技法なども忠実に再現する場合が多いので、実現して欲しい所です。
かなり大規模な水堀です。
水堀は埋め立てられずにそのまま残っているケースが多いので、城の規模感を感じるにはちょうど良い遺構です。
一通りの散策を終え駐輪場に戻る途中、茂みの中で石垣跡を見付けました。
城のどの辺りなのかは不明ですが、こんな感じの雰囲気は好きですね..。
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