新潟県 旧師団長官舎、日本スキー発祥記念館2022年08月12日

高田城の見学の後、少し時間が余ったので周辺の史跡を調べると、近くに旧師団長官舎がある事が分ったので見学する事にします。
旧師団長官舎は 1910年に旧陸軍高田第13師団の師団長、長岡外史中将の邸宅として建てられました。 外史は北欧を視察した時にスキーと出会います。 また、視察で来日したレルヒ少佐からスキーを学び、日本国内にスキーを広めた人物でもあります。 高田は日本のスキー発祥の地とも言えます。 旧師団長官舎は、元々、南城町にありましたが、1993年に現在の場所に移築され、翌年には市の文化財に指定されます。
外観が洒落た洋風の建物で、現在は「HELICE(エリス)」と言うレストランになってますが、レストラン利用者以外でも建物内の見学は可能です。

木造2階建の建物で、1階は公的な場所として洋風に、2階は私的な場所として和風になっています。 駐車場は9台ほどなので、タイミングが悪いと停められないかも知れません。
旧師団長官舎

旧師団長官舎

長岡外史像
この方がここの主だった長岡外史中将です。 ここで家族と共に生活していたようです。
それにしても、現代の日本では見る事の無い、凄い髭です..。
旧師団長官舎・長岡外史像

男子応接室
1階はレストランとして営業しているので、それ以外の部屋を見学。
旧師団長官舎の建築費は当時の金額で 13,300円でした。 企業物価指数だと、明治 40年の1万円は、平成10年の 1,088万円との事。 そう考えると、意外と安い買い物? こういう建物の費用は、個人負担なのでしょうか?
旧師団長官舎・男子応接室

1階は結構、忙しそうだったので邪魔にならないよう2階に上がります。
旧師団長官舎・階段

2Fの和室。 落ち着きます。
終戦後は米軍に接収され、軍事顧問団の宿舎として利用されます。
返還後は陸上自衛隊の宿舎として 1991年まで利用されます。
老朽化された建物は現在の場所に修復を兼ねて移築されます。 家具の一部は当時の写真を参考に再現しているようです。
旧師団長官舎・2F和室

旧師団長官舎・2F和室

昔の雑誌やブロマイドでしょうか?
日本髪の女性もいるので、時代の変化を感じますね。
旧師団長官舎・2F

2F半温室
2Fは基本的に和室ですが、この一角だけはちょっと違いました。
「半温室」となっているので、大きな窓で陽だまりを楽しむような場所だったのかも知れません。
丸いカーブの窓枠がオシャレです。
老朽化してたとは言え、ここが自衛官の宿舎だったとは...。
旧師団長官舎・2F半温室

どうやら、2Fはカフェになっているようです。
かなり暑かったので、アイスコーヒーでも飲みたかったのですが、オーダーの仕方が分からなかったのが残念...。 今回は雰囲気だけを味わいます。
ここの窓枠も凝った細工が美しいです。
旧師団長官舎・2F和室

旧師団長官舎・2F和室

旧師団長官舎・2F和室

日本スキー発祥記念館
長岡外史中将がレルヒ少佐と関係がある事を知ったので、この後、日本スキー発祥記念館にも行ってみる事に。 日本のスキーは 1911年にレルヒ少佐が 58連隊の将校 14名に指導したのが始まりです。 当時のスキーは、軍隊の訓練の一部だったのですね。
その後、スキーは高田市より全国へと広まっていきます。 スキー産業も高田市で発展しますが、「カザマスキー」が 1997年に生産を中止すると高田市のスキー生産は幕を閉じます。
しかし、今でもスキーエッジなど部品生産は上越地域で行われています。
日本スキー発祥記念館

展示されていたレルヒ少佐の仕事机。
ここで、どんな仕事をしていたのでしょう...。
レルヒ少佐は帰国後、第1次世界大戦に出兵しますが負傷して退役します。 その後は日本に関する講演などを行って過ごしたようですが、生活は苦しかったようです。
日本スキー発祥記念館

記念館の前がレルヒロードと呼ばれている事からも、地元では親しまれている人物なのでしょう。
偶然ですが、日本スキー発祥の地に触れる事ができました。


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