山形県 鶴ヶ岡城2023年07月15日

鶴ヶ岡城は、山形県鶴岡市にある平城です。
1463年に大泉長盛が築いた大宝寺城が鶴ヶ岡城の前身になります。 大泉氏はその後、大宝寺氏を名乗ります。
大宝寺氏は戦国時代に入ると上杉氏と手を組み、この地域を掌握します。 しかし、大宝寺氏は上杉氏と最上氏の争いに巻き込まれる事になります。 1583年に大宝寺義氏が最上義光に通じていた家臣に討たれると、大宝寺氏は徐々に滅亡へと進みます。
大宝寺城は上杉氏の支城として使われていましたが、関ヶ原合戦によりこの地域は最上氏の所領となり、大宝寺城は 鶴ヶ岡城に改名されます。
1622年に最上氏が改易されると、酒井忠勝が鶴ヶ岡城に入城して大規模な改修が行われます。 その後、幕末まで酒井氏が鶴ヶ岡城の城主を勤めます。

鶴岡公園東駐車場
この先の秋田県では警報が出る程の天候の中、なんとか鶴ヶ岡城隣の駐車場に到着しました。 到着した時には雨が上がったのですが、こんな天候なので駐車場の利用者はまばらです。 かなり大きな駐車場なので、よほどの事が無ければここに停められると思います。
鶴ヶ岡城の縄張りは輪郭式で、この辺りは三之丸だった場所かと思います。
鶴岡公園東駐車場

駐車場から続100名城のスタンプが置かれている庄内神社の方に行く途中にあった石垣です。 角の部分が算木積で、側面の方が亀甲積のように思えます。
もし、城があった頃の石垣だとすれば、かなり新しい年代の積み方に思えるので、酒井忠勝が入城した頃の石垣でしょうか?
鶴ヶ岡城・石垣

御城稲荷神社
公園に入ってすぐの場所に鎮座しているのが御城稲荷神社です。
ここは鶴ヶ岡城の鬼門に位置する場所で、二之丸北東の隅だった場所です。1708年に六代藩主酒井忠真が鎮守として創建した神社です。
城内にある神社ですが、年1回、城下の人々も特別に参拝できたようで、鶴ヶ岡城が解体された後も神社が残ったのは、人々の信仰も無縁では無かったと思います。 実際に訪れてみると、今も良く手入れがされている神社です。
鶴ヶ岡城・御城稲荷神社

鶴ヶ岡城・御城稲荷神社

鶴ヶ岡城・御城稲荷神社

二之丸跡
現在は公園の北広場とされている場所で、ここは二之丸だった場所です。
1871年の廃藩置県で廃城になると、建物は全て破却されて公園化されました。
かなり広大な敷地なので勝手に御殿とかの存在を想像したのですが、昔の絵図を見ると、土蔵や納戸蔵が数軒描かれている程度でした。
北広場周辺の盛土は、多分、当時の土塁跡だと思います。
鶴ヶ岡城・二之丸跡

鶴ヶ岡城・二之丸の土塁

内堀跡
堀の深さとは全然違うと思いますが、内堀があった場所はだいたい残されているようです。
多分、菖蒲園になっている場所も、昔は内堀だった場所だと思います。
鶴ヶ岡城・内堀跡

鶴ヶ岡城・内堀跡

中堀跡
二之丸北側にある中堀跡の様子です。 堀幅がかなり広い印象を受けます。
鶴ヶ岡城には三重の水堀があったようですが、外堀は残っていないように思えます。 但し、川の一部が外堀として利用されていた可能性もあります。
中堀に関しては北側と西側が現存しているようですが、それ以外の中堀は埋め立てられたように思えます。 大きな堀は埋め立てるのも大変なので、そのまま残る場合が多いのかも知れません。
鶴ヶ岡城・中堀跡

荘内神社(本丸跡)
本丸御殿があった場所は、現在は荘内神社の敷地となっています。
続100名城のスタンプは、ここの社務所に置かれています。
荘内神社は廃藩置県後の 1877年に創建され、4人の歴代藩主(初代・酒井忠次、2代・酒井家次、3代・酒井忠勝、9代・酒井忠徳)が祀られています。
訪問時は「えんむすび七夕祭」の最中だったので、普段とは違う飾りつけがされてました。
手水舎のアジサイは綺麗でした。
荘内神社

荘内神社

荘内神社

二之丸大手門跡
荘内神社の参道にある鳥居がある場所が、二之丸の大手門があった場所でした。
あまり情報が無いのですが、昔の絵地図を見ると2階建ての櫓門だったようです。
鶴ヶ岡城・二之丸大手門跡

大寶館
1915年に大正天皇の即位を記念して建てられた建物です。
開館当初は1階が物産陳列場と図書館、2階が食堂と集会所でした。 1951 ~ 1985年まで図書館として使用され、修繕工事後、1988年から資料館として公開されています。
城があった頃の位置関係で言うと、橋を渡った先が枡形で、枡形の内側にあった門が本丸中門でした。 この建物は、その本丸中門があった場所に建てられているようです。
鶴ヶ岡城・大寶館

鶴ヶ岡城・大寶館

金峯石
金峯山から切り出された花崗岩です。
切り出した時の矢穴が残っています。
1683年に隅櫓の石垣復旧が行われた時、金峯石から切り出された石材は船を使って大山街道の橋まで運ばれ、そこから大手門前まで陸路で運んだそうです。
鶴ヶ岡城・金峯石

御金土蔵跡付近
「御金土蔵」の看板があった場所です。
写っている建物は、本丸跡に建てられた鶴岡護国神社の建物だと思うので、「御金土蔵」では無いです。 説明が無いので詳細は不明ですが、昔はこの辺りに蔵があったのかも知れません。 手前の水堀は内堀です。
鶴ヶ岡城・御金土蔵跡付近

疎林広場(二之丸跡)
本丸跡西側にある広場。 昔は二之丸だった場所です。
昔の絵地図を見ると、写真の奥の方に馬場や武具御土蔵などがあったようです。
鶴ヶ岡城・疎林広場

二之丸西門跡
本丸跡南西付近で、現在の県道 47号が通過している付近は、二之丸に入る為の西門があった場所です。 昔の絵図を見ると、この付近に2階建ての櫓門のような建物が書かれているので、大きな櫓門があったのかも知れません。
鶴ヶ岡城・二之丸西門跡

鶴ヶ岡城は廃城になった時に全ての建物が破却されているので、移築でもされて無い限り当時の建物は残ってません。 ただ、水堀が残されているので、意外と当時の縄張りを感じ取る事が出来ました。