埼玉県 岩室観音堂 ― 2022年10月23日
岩室観音堂は、吉見百穴を訪問する途中に偶然出会った寺院で強い印象を受けました。
興味が湧いたので、吉見百穴の後に見学する事にしました。
岩室観音堂は龍性院の境外仏堂で、龍性院はここから10分程度歩いた場所にあります。
建立年代の正確な資料は存在しませんが、弘仁年間(810 ~ 824年)と考えられています。
但し、その当時の建物は 1590年の松山城の攻防戦で焼失します。 現在の建物は寛文年間(1661 ~ 1673年)に再建された物です。
道路から眺める岩室観音堂は迫力があります。
御堂は懸造りで、江戸時代としては珍しいそうです。 崖にへばりつくような建物や、池に張り出すような建物を懸造り言います。 以前訪問した清水の舞台か懸造りで有名です。
岩室観音堂の石仏は四国八十八寺の本尊を模した物らしいので、恐らく88体あるのでしょう。
ここの石仏を拝めば、八十八霊場を巡るのと同じ御利益があるとされています。
昔は実際に88霊場を旅するのは困難だったので、全国各地にこのような場所がありますね...。
岩場をくり抜いたような場所に鎮座する石仏は迫力があります。
御堂の二階に上がる事も出来ます。 階段が急なので、上がる場合は注意が必要です。
また、階段は2つあり一方通行です。
建物の外から見ると懸造りとは思えませんが、建物の中に入ると大きな岩にかぶさるように建てられている事が分ります。
二階に上がると、松山城への登城路が良く見えます。
ここを登って行くと兵糧倉跡を経由して本丸跡に辿り着けるので、松山城への最短ルートなのですが、まともに歩ける気がしませんね..。
松山城の攻防戦で焼失したとの事ですが、こんな場所にあったら真っ先に焼き討ちにされますよね...。 昔は櫓門みたいな建物だったのでしょうか?
二階は広々とした舞台のような感じです。
上を見ると、巡拝記念の印が飾られています。
年代を見ると昭和ですが、こう言った巡礼は今でも行われているのでしょうか..。
吉見百穴の訪問者は多かったのですが、ここには自分以外は誰もいません。 静かです。
岩室観音堂を出て、松山城の登山口に移動します。
外から見ると森の中に溶け込んでいます。
松山城は 1601年に廃城となり、岩室観音堂が再建されたのは寛文年間(1661 ~ 1673年)なのでそれなりの年数が経過しています。 江戸時代に再建した時もこんな感じだったのかも知れません。
予定に無かった訪問ですが良い場所でした。
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