神奈川県 津久井城(城山公園)2019年10月27日

神奈川県の津久井湖近くにある城山公園はかつて津久井城があった場所でした。
津久井城の正確な築城年代は不明ですが、鎌倉時代に三浦半島を支配していた三浦氏の一族、津久井氏が築城したと伝わります。
戦国時代に北条氏の支城として整備された頃には、内藤氏が城主を務めます。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の時、徳川勢の攻撃を受けます。 その頃、城主は小田原城に籠城して不在であり守備は手薄だったのかも知れません。 攻撃に耐えきれなかった津久井城は開城してその後廃城となります。

津久井湖城山公園パークセンター
バイクはパークセンターの駐車場の駐輪場に駐車しました。
特にイベントがあった訳ではありませんが、普通の土日でも10頃にほぼ満車状態だったので早めに訪問した方が良いかも知れません。 国道沿いにも駐車場はありますが、そこからだと歩くには少し距離があるかも知れません。
津久井湖城山公園パークセンター

牢屋の沢
この沢は、戦国時代には天然の堀として機能していたようです。 また、橋の跡と思われる柱穴も見つかっており、戦国時代にも現在と同じ場所に橋があった可能性が高いようです。
「牢屋の沢」との呼び名は、江戸時代初期に代官が置かれた頃、この沢の上流に牢屋があった事が由来のようです。
津久井城・牢屋の沢

津久井城・牢屋の沢

牢屋の沢の橋を渡ると、左側に山道が見えます。
御屋敷に行くにはこの山道を登ります。 台風の影響で通行止めになっている登山道もあったので少し心配だったのですが、山道には滑り止めのシートが引かれていて問題無く上る事ができました。
津久井城・御屋敷へ

御屋敷跡
城主だった内藤氏の居館があった場所です。
発掘調査により、中国製磁器や天目茶碗などの生活用具や建物跡が見つかっています。
また、江戸時代にはここに陣屋関連の建物があった事も判明しています。
残念ながら、建物跡などの遺構は保存の為に埋め戻されているので見る事はできません。
津久井城・御屋敷跡

津久井城・御屋敷跡

斜面に対して垂直に伸びている溝が竪堀だったと思われる場所です。
この崖下が最初に渡った牢屋の沢になります。 沢の対岸には「切岸(意図的に絶壁にしている場所)」もあるようですが、ここからは良く分からなかったです。
竪堀は木や草が生えてしまうと分かりにくいですね...。
津久井城・竪堀

小倉道
津久井城の東側にある小倉方面に通じる古道です。
江戸時代の頃からあった古道のようです。
今はハイキングコースですが、江戸時代の人は生活の為にここを通ったのかも知れません。 江戸時代は今よりも整備されておらず、この細い山道を一人で歩いたら心細いですね...。
津久井城・小倉道

山頂方面に行く途中、蝶を発見しました。
良く見ると羽にナンバーが書かれれています。 生態調査の対象になっている蝶みたいです。
津久井城・ナンバリングされた蝶

飯縄神社
車坂(男坂)と呼ばれる坂を上っていくと尾根に出ます。 先に飯縄曲輪の方を散策します。
本城曲輪の東側を守るのが飯縄曲輪で飯縄神社が鎮座しています。
津久井城の守護として津久井氏が 1197年に勧請したそうなので、城があった頃から鎮座していたのだと思います。 飯縄神社は天神大戸道尊をお祀りしたのが始まりのようですが、どんな神様なのかは不明のようです。 (古事記や日本書紀にも登場するらしいですが...。)
津久井城・飯縄神社

津久井城・飯縄神社

烽火台付近
飯縄曲輪の近くには烽火台があったようです。
周辺には他にも烽火台があったようで、支城間で連絡を取り合っていたのかも知れません。
津久井城・烽火台付近

宝ヶ池
飯縄曲輪の東側にある池です。 白く濁っていた事から城兵が刀を研いだとの言い伝えがあるそうです。 津久井城の水源としては、本城曲輪と御屋敷跡で井戸が見つかっています。 この辺りの山域では湧き水が豊富なようで、この池の水も枯れる事がなかったようです。 
津久井城・宝ヶ池

堀切
宝ヶ池から鎖のある急な坂を下ると堀切があります。
道の両側は竪堀のように削り取られています。 このような土橋だったのか橋だったのかは不明ですが、ここで意図的に鷹射場と飯縄曲輪を分断しています。
津久井城・堀切

堀切からさらに細い尾根を東に移動すると鷹射場と呼ばれる曲輪に出ます。
これだけ道が細いと大群が通るには厄介だったと思います。
当時は草木も無かったと思うので、ここを通る敵は飯縄曲輪から丸見えですね...。
津久井城・鷹射場へ

鷹射場
曲輪の役割は不明ですが、非常に見晴らしが良い場所です。 監視用かも知れません。
ここから先は尾根を下ってしまうので本城曲輪側に引き返す事にします。
津久井城・鷹射場

家老屋敷跡
太鼓曲輪の手前を脇に入って行くと家老屋敷跡に出ます。 場所的には太鼓曲輪の南下段かと思います。 どんな人物かは分かりませんが、この辺りに家老の屋敷があったと言う事かと思います。
少し大き目の石が散乱している場所がありましたが、石垣があったのでしょうか?
ここから本城曲輪には行けないので、引き返して太鼓曲輪に向かいます。
津久井城・家老屋敷跡

津久井城・家老屋敷跡

太鼓曲輪
細長い形をしている曲輪で、ここが突破されるといよいよ本城曲輪になります。
名前から察するに、時間でも伝える太鼓が置かれた建物でもあったのだと思います。
津久井城・太鼓曲輪

太鼓曲輪と本城曲輪の間にあった堀切です。
古い絵図や地名などからここには引橋があったと思われます。 引橋は戦時に外したり落としたりできる構造の橋です。 この堀切の前後はかなりアップダウンがあったので、思ったよりも大きな橋だったのかも知れません。
津久井城・堀切

土蔵跡
堀切を渡った先にある土蔵があった曲輪です。
奥にある土塁の先が本城曲輪を囲むようにある帯曲輪になります。
そう言えば、津久井城は曲輪の跡ははっきりしているのですが、土塁跡はここまで気が付きませんでした...。
津久井城・土蔵跡

本城曲輪
土塁の跡がはっきり残っています。
本丸曲輪の入り口には門があったのですが、どの辺りが門跡だったのか判断できませんでした。
古い絵図によると、2つの櫓もあったようです。
津久井城・本城曲輪

驚いたのは津久井湖の水量と水の色です。
この写真では分かりませんが、流芥も大量に流れ着いてました。
台風からだいぶ経ちますが、今でもこれだけの水量がある所を見ると、台風当日はだいぶ危なかったように思います...。 周辺の人は避難したのでしょうか?
津久井湖

台風の影響を気にして訪問を躊躇していたのですが、思ったほど影響は無かったようです。
それほど知名度の高くない山城だと思いますが、思ったよりも遺構が残っている感じがします。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2019/10/27/9189619/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。