長崎県 長崎孔子廟中国歴代博物館2023年05月04日

長崎孔子廟は、1893年に清国政府と在日華僑の有志によって建てられた日本唯一の本格的な中国式孔子廟です。 1905年には敷地内に長崎華僑時中小学校が創立され、長崎県知事公認の学校になります。
1945年の原爆投下により、長崎孔子廟は甚大な被害を受けますが、1967年に改修工事が行われて現在の姿になります。 その時、学校は別の場所に移転(後に閉校)されます。
現在は、中国の文化財を公開する博物館も併設されています。

儀門
孔子廟の内正門を儀門と呼びます。 日本ではあまり見ない、中国様式の美しい門です。
儀門は、昭和初期の台風で倒壊しますが、1967年の修復工事の時に復元されます。
門入り口前の石像は、創建90周年記念として中国福建省から贈られた石獅子です。
元来、中国廟の門戸は3個以上の奇数ヶ所作られるらしく、中央は神様や皇帝用なので閉じられているようです。
長崎孔子廟・儀門

長崎孔子廟・儀門

碧水橋
白い石橋が碧水橋で、その奥に見える石の門が霊星門(霊の字は、キヘンに霊)です。
この霊星門が日本の鳥居の原型と言われてます。
長崎孔子廟・碧水橋

絵馬による願懸けは日本の神社と同じですが、赤い絵馬はいかにも中国風です。
長崎孔子廟・碧水橋

両廡
儀門から中に入ります。
大成殿前の広場を両廡とよぶ回廊が囲みます。
その回廊の内側には 72賢人石像が並びます。
これに似た構造の社寺は日本にもありますが、朱色や中国的な装飾がだいぶ違う印象を与えます。
長崎孔子廟

東廡
長崎孔子廟・東廡

西廡
長崎孔子廟・西廡

大成殿
1893年の創建時からの建物のようなので、原爆による被害にも耐えました。
中央に孔子坐像が祀られています。
日本の本堂の中は大抵撮影NGなので、内部は撮影しませんでした。
でもパンフレットを見ると、博物館の中以外は撮影OKだったのかも知れません。
長崎孔子廟・大成殿

長崎孔子廟のルーツは鎖国時代から存在していたようです。
1639年から南蛮船の入港が長崎出島に制限されます。 そんなさなかの 1647年に向井元升が長崎聖堂・孔子廟を創建します。 その聖堂が長崎孔子廟のルーツとなります。
長崎孔子廟・大成殿

72賢人石像
等身大の72賢人石像は大成殿の両脇まで連なります。
72賢人とは、孔子の高弟で「六芸」に通じた賢者の事です。
「六芸」とは、「礼(礼儀)」、「楽(音楽)」、「書(書道)」、「数(数学)」、「射(弓の技術)」、「御(馬車の技術)」の事です。
長崎孔子廟・72賢人石像

この後は博物館の中を見学する流れになります。
2階は中国の博物館から提供された、重要な文化財が展示されており、3階は長崎孔子廟に関する史料になります。 思ったよりもボリュームがありました。
時間にもう少し余裕がある時に来た方が良いかも知れません。


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