福島県 白河小峰城跡2016年05月04日

福島県白河市にある日本100名城のひとつです。
1340 年に結城親朝が小峰ヶ丘に築城したのが始まりとされています。
丹羽長重が入封すると、1629 年~ 1632 年に大規模な城郭の改修が行われました。 戊辰戦争では激しい戦闘が行われ、ほとんどの建物が失われてしまいました。

駐車場から城に向かう途中にあるこの溝は堀の跡でしょうか?
これと言った説明はありませんでしたが、昔の地図の現在の地図を比較すると、確かに、この辺りには堀があったみたいです。
白河小峰城

ここに来て一番びっくりしたのは、東日本大震災から5年もたつのにまだ崩れた石垣の修復工事がまだ行われていた事。 どうやら崩れる前の写真などから元の石の場所を確認し、元の場所に積み直すらしいです。 たしかに、パズルのように積まれた石垣は正しく積まないと元には戻らないので大変な作業です...。
白河小峰城・石垣修理

月見櫓の辺り
この堀も古地図に載っていたので昔からの物だと思います。 たぶん、石垣の一番奥の櫓台の上に月見櫓があったと思います。
白河小峰城・月見櫓の辺り

丸い模様のように変わった積まれ方をした本丸の石垣。 当時の職人達の遊び心を感じます。 綺麗な石垣です。 
白河小峰城・本丸石垣

桜之門
本丸への南側入り口にあった門跡です。 高さ 7m の立派な櫓門があったそうです。 近くに桜の木があった事からこの名で呼ばれたとの説があります。
パイロンが置かれてましたが、この辺りも地震の被害を受けたのでしょうか?
白河小峰城・桜之門

白河小峰城・桜之門

本丸御殿跡
この広い空間には本丸御殿がありました。 外観は不明ですが、707 畳あったと伝える資料もあるので大規模だった事は間違いなさそうです。
当時の平面図には「御奉行」、「御月番」などの記載があった事から行政の場も兼ねていたようです。
白河小峰城・本丸御殿跡

本丸周辺でも工事が行われてました。 こっちは発掘調査との話もあり、地震の影響なのか良く解りません。
白河小峰城・本丸周辺

前門
前門と呼ばれる櫓門から奥の三重櫓へ連なって見えます。
戊辰戦争でほとんどの建物は焼失しているので、これらの建物は復元ですが、なかなか素晴らし眺めです。
白河小峰城・前門と三重櫓

ただ、下に目をやると、こちらも震災の影響と思われる工事中。 たぶん、こちらからも登れたのだと思いますが、現在は通れません。 
白河小峰城・前門周辺工事

三重櫓
実質的な天守と言える三重櫓です。 戊辰戦争で焼失した三重櫓は 1991 年に当時の技法によって木造で復元されました。 高さ 13m の三重三階の櫓です。 内部も見学可能です。
白河小峰城・前門と三重櫓

白河小峰城・三重櫓内部

おとめ桜
三重櫓の横に植えられてました。
丹羽長重が城郭の整備を開始すると、どうしても石垣が崩れてしまう場所がありました。 そのため、たまたま父に会いに来ていた藩士の娘「おとめ」が捕らえられて人柱にされたと伝えられています。 城の完成後、供養の為に植えられた桜を「おとめ桜」と呼んでいます。
白河小峰城・おとめ桜

二ノ丸
広大な二ノ丸から三重櫓方面を見渡します。 たぶん、当時はこの辺りにもたくさんの建物があったのだと思います。
白河小峰城・二ノ丸

たぶん、富士見櫓の辺りの石垣だと思いますが、要塞見たいで迫力があります。 本当はこの辺りも入れるのだと思いますが、当日は立ち入り禁止でした。
白河小峰城・石垣

水堀
一見すると川のように見える大きな水堀です。 地図を見ると阿武隈川の方に向かって伸びているので、昔は川の水を取り入れていたのかも知れません。 今もどこかで繋がっているのでしょうか?
白河小峰城・堀

白河集古苑
最期に白河集古苑に立ち寄ります。 公園内にある資料館で、鎌倉時代からこの地を 400 年に渡って治めた白河結城氏に関わる古文書などが展示されています。
白河小峰城・白河集古苑

とにかく地震による影響が印象的でした。 同じく地震により大きダメージを受けた熊本城の復旧にも相当な年月が必要になると思いますが、頑張ってほしいです。
白河小峰城・三重櫓


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