鎌倉 宝戒寺2017年04月08日

新田義貞との戦に敗れ、北条一門が自害した事により鎌倉幕府は終焉を迎えます。
北条氏の霊を弔う為に、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて 1335年に建立されたのが宝戒寺です。 この場所は北条氏の屋敷があった場所でもあります。
宝戒寺

本堂
本尊は三条法印憲円作の子育経読地蔵大菩薩で、宝戒寺が建立された年代に近い南北朝時代の 1365年に造られた物です。
宝戒寺は 1538年に火災でほとんどの建物を焼失しているので、建立当時の建物は残ってなさそうです。 雨具を着ていたので本堂内には入らずに外から拝観....。
宝戒寺・本堂

宝戒寺・本堂

聖徳太子堂
名前の通り、聖徳太子が祀られています。
聖徳太子は仏教を広めるのに尽力した方なので、太子堂があるお寺はよく見かけます。
大阪四天王寺の印象が強いせいか、関西方面に多い印象はありますが...。
宝戒寺・聖徳太子堂

德崇大権現堂
北条高時を德崇大権現としてお祀りしています。 徳川家康を東照大権現として神格化してますが、それの北条高時版と言った所だと思います。
年代的には高時の方が古いので、まねしたのは家康の方?
宝戒寺・德崇大権現堂

宝戒寺

大聖歓喜天堂
本堂脇にある新しそうな白い建物で、大聖歓喜双身天王が祀られています。
秘仏なので公開はされてませんが、歓喜天は頭が象の双身像が一般的なようです。
この辺りは雨が降ったせいか、かなりぬかるんでいたので足元にはご注意を...。
宝戒寺・大聖歓喜天堂

宝篋印塔
本堂の左奥側へ移動しますが、足元がかなり悪い...。 やはり寺院の散策は晴れている日がよさそう...。
1333年の東勝寺合戦によって亡くなった方々を慰霊する供養塔です。 人数には諸説あるようですが、この合戦で北条一族と家臣 870人が自害に追い込まれたとされてます。
そういえば、近くに北条高時が自害したと伝わる腹切りやぐらがありましたね...。
宝戒寺・宝篋印塔

梵鐘
宝戒寺・梵鐘

この場所に北条氏の屋敷があった訳ですが、宝戒寺自体も火災で一度焼失している事から、当時を偲ばせる物は残って無いようです。
御醍醐天皇が隠岐を脱出してからあっさりと滅亡した感がある鎌倉幕府。 主役の源氏も三代で表舞台から消えてしまい、元々、不安定だったのでしょうか?

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