福島県 三春城 ― 2019年08月24日
三春城は 1504年に田村義顕によって築城された山城です。 田村氏は周辺有力大名と友好関係を結び領地を守りますが、豊臣秀吉の奥州仕置きによって 1590年に改易され、その後領主が点々とします。 1628年に松下長綱が城主になると城は大幅に改修され、1645年に秋田俊李が入城した後は幕末まで秋田氏が城主を務めます。
駐車場
三春城の駐車場へは、細く急な上り坂を走る事になります。 大きな車だと大変かも知れません。
最初に現れた二ノ門付近の駐車場にバイクを停めます。 この上にも駐車場はありますが二ノ丸跡に寄り道するのであれば、ここの駐車場の方が都合が良さそうなので、ここから歩く事にします。
堀切
本丸を目指して坂道を登ります。 この道は昔の絵図にも描かれているので、当時から使われていた登城路のようです。 向かって左上には二ノ丸があり、右上には本丸があります。
尾根が綺麗に分断されており、この通路は本丸と二ノ丸を分断する堀切だったようです。
二ノ丸は帰りに散策する事にます。 ちょうど右上の辺りにも一つの駐車場があります。
矢倉跡
二つ目の駐車場から搦手路までの通路は昔の絵図に乗って無いので後から整備された物かも知れません。 搦手路との合流付近に「矢倉跡」の案内がある事から、この辺りに蔵があったのだと思います。 ただ、どの辺りにあったのか良く分かりませんでした。 この辺りかな?
搦手路
正面土塁の上が本丸になります。 搦手路は直角に折れ曲がっており、その先には本丸への裏口となる裏門がありました。
意外と立派な登城路だったので、最初はこちらが大手路なのかと思ってました...。
多分、この辺りに裏門があったのだと思いますが、三春城の建物は現存しません。 廃城時に建物は全て民間に払い下げられました。
本丸(下段)
現地には「二ノ丸跡」と書かれた札がありましたが、他の案内板では「本丸」と書かれていたので、ここでは「本丸」として紹介します。 本丸は上下2段に分かれており、ここは下段の方です。
古い絵地図にはここを「二ノ丸」と書いている物もあるようなので、年代によって呼び名が変わっているのかも知れません。 多門櫓状の長屋や天守代わりの三階櫓があったようです。
続100名城のスタンプは、奥に見える東屋に置かれています。
表門跡
「大門跡」と書かれた札が写ってますが、地図には「表門」と書かれていたので、ここでは「表門跡」として紹介します。
ここへの通路が細かったので、訪問時はここが正面入り口とは思いませんでした。
門は櫓門で両脇が石垣だったようですが、それを偲ばせる痕跡は見当たりませんでした。 ただ、「大門跡」の札の近くには四角い石が2個置かれており、表門の柱位置を示しているのかも知れません。
本丸上段入り口
本丸上段と下段は石垣で区切られていたようですが、そのような痕跡は見当たりませんでした。
廃城時に石材なども流用されてしまったのかも知れません。
ここも当時の出入り口なのか不明ですが、古い絵地図にはこの辺りに階段が描かれいます。
門などがあったのかは良く分かりません。
本丸(上段)御座間跡
秋田氏の時代になると、城の防御性はあまり重要では無かったので西の麓(三春小学校付近)に屋敷を構えます。 本丸には大広間があり、ここは、藩主の待機場所だった御座間があった場所です。
現在は秋田家祖先の慰霊碑が置かれています。
本丸の建物は、1785年の火災で表門以外は焼失しますが、三階櫓以外は再建されませんでした。
本丸(上段)大広間跡
御座間と台所を挟んで繋がっていた大広間があった場所です。
重要な会議や儀式の時はここに家臣が集まったのかも知れません。
立派な建物があったのかも知れませんが、ここも火災の後は放置状態だったのかも知れません....。
本丸の散策を終えたので、大手門側から帰ります。
三の門
大手道はつづら折りになっており、一番上の折り返し地点には三の門がありました。
右側の「三ノ門跡」の札があった辺りに門があったようで、門を通過した先は少し広場になってますが、古い絵図には建物などは書かれてません。 武者溜りのような場所だったのかも知れません。
先程の武者溜りのような場所から先に進めそうだったので、本丸の周辺を回って搦手門の方に歩いてみます。
石垣跡のような物が見えて来ました。
この辺りには戦国時代末期の石積跡があるようなので、その一部なのかも知れません。
この先、あまり手入れされていない場所がありましたが、何とか搦手門の方へ出る事が出来ました。
この辺りを夏場に散策する場合は注意が必要かも知れません...。
搦手門跡
どんな門だったのかは不明ですが、古い絵図をみるとこの辺りは食い違い虎口のような構造だったように思えます。 門の近くには小さな建物もあったようですが、古地図の字が小さすぎで読めませんでした...。
最初に素通りした二ノ丸方面に戻ります。
二ノ丸の周辺には散策路があり、曲輪の周りを一周する事が出来ます。
古い絵図をみると二ノ丸周辺は石垣だたようですが、そんな感じは残ってません。
二ノ丸
現在はこんな感じの公園になっています。 二ノ丸は2段構造になっており、この先には1段下がった曲輪があります。 また、下段の曲輪の先には虎口や別の曲輪が続き、どことなく戦国期の山城のような雰囲気があります。 年代が違うのでしょうか?
本丸下段を「二ノ丸」としている絵図もあり、二ノ丸に関しては謎が残ります...。
一通りの散策を終えて駐車場に戻ります。
三春小学校の門が三春城の現存建物だったようですが、ここから歩いて観に行くのも面倒だったので諦めました。 夏休みの旅もここまで。 あとは家までひたすら走るのみ。
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