東京都 高月城跡 ― 2020年05月17日
高月城は、1458年に武蔵国守護代大石氏によって築城されたと伝わる平山城です。 多摩川と秋川の合流付近に位置しており、自然の地形を生かした城です。 1521年に滝山城が築城されると拠点はそちらに移りますが、その後も出城として使用されていたようです。
滝山城の原点とも言える城ですが、資料に乏しく城主を含めて所説あるようです。
高月城本丸への入り口は廃業したホテルや稲荷神社がある方の細い道路にあります。
見学は可能ですが私有地になっているので散策路以外の立ち入りは禁止されています。
また、入り口周辺の道路は狭く、近くに駐車場も無いのでご注意を。
稲荷神社側から高月城の入り口付近を眺めた所。
稲荷神社側も曲輪だったようですが、建物が建設されており当時の遺構は残っていません。
ただ、この道路が昔からあった物であれば、当時は堀切だったのかも知れません。
しばらく細い道を歩くと左側に作業小屋が見えてきます。
この作業小屋がある場所は堀切の底みたいです。 もう少し先に進むと人工的に尾根が切られているのが良く分かります。
作業小屋の反対側には空堀の跡が良く残っています。
散策路をしばらく進むと右側に曲輪跡のような空間が見えます。
私有地なので中には入れませんが、木が邪魔で広さは良く分からなかったです。
土塁の上のような細い道をさらに進みます。
今度はクネクネと曲がった散策路を進みます。
どこまでが当時の地形なのか分かりませんが、縄張り図を見ると本丸の手前は複雑な地形になっているのでその影響があるのかも知れません。
途中、湧き水が溜まっている水場がありました。
昔からある物なのかは不明ですが、縄張り図にも近くに「水の手」の書かれた場所があるので、昔も近くに水場があったのかも知れません。
一本道なので迷うことはありませんが、縄張り図とマッチしないので何処をどう歩いているのかまったく分かりません..。
開けた場所が見えて来たので、どうやら本丸に到着したようです。
思ったよりも広い本丸です。
高月城の説明板が2つ置かれてますが、畑として使用されているとの話もあるので奥まで入るのは止めておきました。 本丸入り口付近に横への矢印があったのでそちらに歩いてみましたが、どこが散策路なのか判断ができない状態だったので引き返す事にします。
本丸の周辺にある土塁跡は分かりませんでしたが、曲輪の外側はかなり急な崖になっています。
ここを直接登ってくるのは難しいかも知れません。
滝山城を訪問した時に入手した案内で初めて知った高月城。 知名度は高くないと思います。
滝山城、八王子城の原点になる城なので、もう少し史跡として管理した方が良いかと思いましたが私有地なので難しいのかも知れません。 見学できるだけでも良しとしましょう。
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