東京都 亀戸天神社2022年03月20日

亀戸天神は、東京都江東区亀戸にある菅原道真を祀る神社です。
創建年代は 1662年です。 大宰府天満宮の神職が、大宰府天満宮の神木「飛梅」で作った菅原道真像を祀ったのが始まりと伝わります。
もっと古い神社かと思ったのですが、江戸時代に創建された意外と新しい神社のようです。(それでも十分歴史のある神社ですが...。) 葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にも描かれているので江戸の名所だった事は間違い無さそうです。
亀戸宰府天満宮の名称でしたが、1873年に亀戸神社、1936年に亀戸天神社に改名されました。
亀戸天神

太鼓橋
本殿に通じる参道には3つの橋があり、人生に見立ててあります。
鳥居を通って最初の太鼓橋が「男橋」で「過去」。 真ん中の平橋が「現在」で、最後の太鼓橋が「女橋」で「未来」を表しています。
亀戸天神・太鼓橋

亀戸天神・太鼓橋

亀戸天神のかなりの部分を大きな池が占めています。
池の水が結構、濁っていて匂いも気になりました。
また、「亀戸」と言う地名からなのか、合格祈願の返礼としてカメを放流する人が多いようで、外来種であるミシシッピアカミミガメが増え続けているようです。
御礼だとしても、外来種の放流は止めた方が良いですね...。
亀戸天神・池

梅が咲いているかなと思ったのですが、全然咲いてませんでした。
この時期だと、「咲いて無い」と言うより「散ってしまった」と考えた方が自然かも知れません。
やはり、季節に依存する物は、ちゃんと時期を合わせないとダメですね...。
亀戸天神・梅

弁天社
池の真ん中にある弁天社。 「弁天社」と呼ばれてますが、1665年に大宰府天満宮の「志賀社」を勧請した社なので、祀られているのは綿津見三神(底津綿津見神、中津綿津見神、表津綿津見神)のはずです。 どうやら立地場所から上野不忍池の弁財天堂に見立て、「弁天堂」と呼ばれるようになったようです。 結局の所、弁財天を祀っているのですかね?
亀戸天神・弁天社

鷽の碑
菅原道真を祀る神社では、「鷽替え神事」と言う行事があるようです。 鷽鳥の像を新しい物に替える事により、それまでの「悪い事」が「ウソ」に替り幸運を招くとされます。
そう言えば、何かのテレビ番組で見ましたね...。
亀戸天神では毎年1月24、25日に「鷽替え神事」が行われます。
亀戸天神・鷽の碑

手水舎
コロナの影響で柄杓は撤去されていました。
この角度からは気付かなかったのですが、右奥の方に亀の彫刻があります。
手水舎の装飾は「龍」が多い印象がありますが、「亀」は珍しいかも知れません。
亀戸天神・手水舎

舞殿
大きな行事が行われる時は、ここで巫女舞が奉納されるようです。
亀戸天神・舞殿

社殿
亀戸天神社は太平洋戦争時の空襲でほとんどの建物を消失しています。
現在の社殿は 1979年に再建された物のようです。
少し離れて眺めると、後ろにスカイツリーが見えます。 伝統的な建物と最新技術で建てられた建築物を同時に見るアンバランスさが不思議な感じを出しています。
亀戸天神・拝殿

亀戸天神・拝殿

御嶽神社
1669年に九州大宰府御嶽山から勧請して建立された神社です。
現在の建物は 1976年に再建された物ですが、亀戸天神社の創建後、わりと早い時期から鎮座しているようです。
御祭神は法性坊尊意。 法性坊は道真の師とされる人物です。
関東で見かける御嶽神社は、蔵王権現を祀る神社なので別物なのかも知れません。
亀戸天神・御嶽神社

神牛
菅原道真を祀る大きな神社では定番となる牛の像です。
参拝者が撫でている場所の色が変わってすね...。
道真の遺体を乗せた牛車が歩く事を止めた場所を墓所にしたと言う逸話は有名です。
亀戸天神・神牛

河津桜でしょうか? 文房至宝碑の近くで綺麗に咲いてました。
文房四宝とは紙、筆、墨、硯の事で、文化の発展に大きく貢献してきました。 「文化の日」は「文具の日」でもあり、それを記念した石碑のようです。
今や文具は電子機器と化しており、この先どのような進化を遂げるのでしょうか?
亀戸天神・文房至宝碑

多分、この辺りに梅が咲き乱れていたのだと思いますが、多分、来るのが遅かったのでしょう...。
ちょうど梅と藤の中間辺りに来た感じなので、シーズンとしては良くない時期に来たようです。
今度は、もう少し下調べしてから来る事にしましょう。
亀戸天神