岡山県 備中高松城 ― 2022年05月03日
備中高松城は、羽柴秀吉の水攻めで有名な平山城です。
正確な築城年代は不明ですが、永禄年間(1558 ~ 1570年)に備中松山城の城主三村元親の命で石川氏が築城したと伝わります。 備中兵乱で三村氏、石川氏が滅ぼされると石川久智の娘婿だった清水宗治が城主となります。 宗治が城主になれたのは、備中兵乱で毛利氏に寝返ったからと考えられています。
秀吉が中国地方に侵攻してくると 1582年に備中高松城は水攻めで落城します。 城主だった宗治は城兵の命と引き換えに自害します。
その後、高松城は宇喜多領となり花房正成が入城。 一国一城令により廃城になります。
備中高松城の北側にある高松城址公園駐車場に到着。
現在、備中高松城があった場所は高松城址公園として整備されています。
備中高松城の周辺は沼や湿地でした。 現在でも公園に湿原が残ってますが、当時の様子とはだいぶ異なると思います。
高松城址公園北側の湿地
この湿地の左側が本丸だった場所です。
こんな感じの湿地が回りを囲んでいたのだと思います。
本丸跡
清水宗治城跡碑がある付近が本丸だった場所です。
実際の本丸は、道路の反対側にも広がっていたようなので、かなり大きな本丸だったようです。
従三位毛利元徳書 清水宗治城跡碑
本丸周辺の湿地は、だいたい当時の本丸跡に沿っているようです。
多分、曲輪の周辺には土塁があったと思うのですが見当たりません。
本丸跡には清水宗治の首塚があります。
清水宗治は小舟の上で切腹した後、秀吉本陣があった石井山持宝院境内で首実検されます。
首はその後、本陣近くに埋葬され五輪塔が建立されました。
首塚は明治期に本丸があった現在の場所に移されます。
宗治蓮(本丸・二之丸間の湿地付近)
備中高松城跡を公園化する際、沼の復元を行いました。
本丸と二之丸は沼地で分断されており、沼地を復元する前は「蓮池」の地名が残されていました。
池を復元した事により地中に眠っていた蓮が自然と花を咲かせたようです。
現在、本丸跡と二之丸跡の間には民家がありますが、その辺りも沼地だったようです。
二之丸跡
この畑の部分が二之丸だった場所です。 畑なので、現在は私有地みたいですね。
発掘調査がされていないので、当時の様子は不明なようです。
二之丸付近から西側を眺めた所。
当時は、本当に何もない沼地が広がっていたのだと思います。
攻めにくい場所だったのは間違い無さそうです。
高松城址公園資料館
続100名城のスタンプはここに置かれてるのですが閉館時間が 15:00 なので間に合いませんでした...。まぁ、間に合わないのを承知で、ダメ元で来たので仕方ないですが、ここでスタンプを押す事は出来ませんでした。
同じく、間に合わずに途方に暮れてる人が数人いました。 15:00 はちょっと厳しいですね...。
遠くから来てる人は、何回も来れる場所では無いので...。
ちなみに、資料館がある場所は、昔は二之丸と三之丸の間の沼地でした。
三ノ丸
元々、スタンプが押せないのを覚悟して来たので、とりあえず高松城の散策を続けます。
資料館から南に行くと、その付近が三の丸になります。
三之丸はかなり大きな曲輪で、道路を挟んで妙玄寺の方まで三之丸だったようです。
舟を並べて舟橋をかけて城外と結ばれていたとの説明がありました。
明日再訪しても良いのですが、諦め切れないので他にスタンプが置かれている場所が無いのかネットで探した所、清鏡庵と言う和菓子屋の前にスタンプが置かれている事が判明。
他の方にもその事を伝えて、本丸近くの清鏡庵へ。
無事、続100名城のスタンプを押す事が出来ました。 しかし、資料館に時間外は清鏡庵で押せる事が書いてあっても良いかと..。
目的が全て達成出来たので、後はのんびりと公園を散策して帰りました。
ここでスタンプが押せたのは、今後の日程が大分楽になります。
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