沖縄県 中城城(1)2023年03月20日

今回の沖縄旅行、最後の目的地である中城城に行きます。
多分、イオンモール沖縄ライカムからコミュニティバス「グスクめぐりん」で中城城まで行くのが一番楽な方法だとおもいます。 ただ、早朝、那覇バスターミナルからイオンモール沖縄ライカムに行くバスが分からなかったので、本数も多い、30系で久場まで行ってそこから歩く事にします。 

久場のバス停から中城城までは約 2km ほどあり、ずっと登坂なので 30分以上かかります。 座喜味城も結構歩きました。 世界遺産なのにバスで行くのには苦労します...。
雨の中を淡々と歩き続けていると、時折見える海に癒されます。
中城城付近からの眺め

上久場之殿
中城城に行く途中で「上久場之殿」の案内板を見たので、ちょっと寄り道します。
雨で道が滑りやすくなってましたが無事に到着。 地元では「トゥンナー」と呼ばれているようです。
石で囲まれたような拝所です。 久場村発祥の地とに言い伝えもあるようです。
神聖な場所のはずなので、少し離れた場所から見学して戻ります。
中城城・上久場之殿

護佐丸の墓
道路に戻り少し進むと、今度は反対側に護佐丸の墓があります。
ただ、結構、長い階段を登る必要があります。 雨の中だと、ちょっと苦労します..。
立派なお墓です。
護佐丸は、今回の沖縄旅行で訪問した城郭に深く関わる人物です。
尚巴志の命により今帰仁城を落すと座喜味城の城主となります。 その後、今回の訪問先である中城城の改築を行い拠点を移し、勝連城を牽制します。 しかし、護佐丸は謀反の嫌疑をかけられ、ほとんど抵抗する事なく自害します。
護佐丸は、今回の訪問先のほとんどに関わっている人物です。
中城城・護佐丸の墓へ

中城城・護佐丸の墓

中城城に到着。 寄り道が多かったので正確な所要時間は不明です..。
券売所で100名城のスタンプを押します。 これで沖縄の100名城、続100名城は完了です。
券売所から中城城へは電動カートで送迎してくれます。
ここまで雨の中を長い事登って来たので、カートでの送迎は助かります。
中城城・券売所

中城城・電動カート

天気が悪いので、今一つの写真です。
多分、天気が良ければ、もっと素晴らしい風景だったのだと思います。
情報不足で良く分からないのですが、この辺りも郭なのでしょうか?
この辺りは城壁の外側のように思え、城の郭と言うよりも集落があった場所のようにも思えます。
中城城からの眺め

鍛冶屋跡(カンジャーガマ)
鍛冶を行っていた場所と言い伝えられています。
護佐丸が、阿麻和利との戦いに備えて武具を作らせた場所との言い伝えもありますが、正確な事は不明です。 案内が無ければ、ただの横穴ですね...。
中城城・鍛冶屋跡

正門
左手前の石垣上にある窓のような部分も特徴的です。 石垣の上に乗る櫓門だったようですが、建物は存在しません。 奥に見える大きなクレーンや、工事用の足場のような物が気になります...。
どうやら、中城城は修復工事中だったようです...。
中城城・正門

中城城・正門

南の郭の虎口付近の修復作業。
石垣を解体修理する場合、石材を元の位置に戻す必要があります。
なので、石垣の石材、一つ一つに番号が振られています。
大変な作業です。
中城城・南の郭虎口付近の修復作業

南の郭
正門を通ると、南の郭の高い石垣の下に出ます。
沖縄の城の特徴である、曲線的な石垣が美しいです。
南の郭は、南側からの攻撃や、正門からの侵入者を上から攻撃するように配置されています。
中城城は、比較的戦争による損害が少なかったようで、石垣の保存状態が良好らしいです。
中城城・南の郭の石垣

中城城・南の郭入り口

中城城・南の郭

南の郭には数多くの拝所があります。
その中の一つが御當蔵火神。
通称、首里遥拝所。 首里の王を拝む場所のようです。
他、小城ノ御イベ(久高遥拝所)、雨乞イノ御嶽などがありました。 城として機能していた頃からこんなに拝所があったのでしょうか?
護佐丸の死後、中城城を所領していたのは中城王子のようで、薩摩侵攻後は番所が置かれてました。 廃藩置県後は学校や役場として利用されていたので、意外と普通に活用されています。
あまり信仰の対象という印象は受けません..。
中城城・御當蔵火神

南の郭から、一の郭に向かいます。
手前は虎口のような感じで、入り口はアーチ門でした。
自然の地形をうまく利用してる印象を受けます。
中城城・南の郭

中城城・一の郭入り口

一の門の石材からは刻印が見つかっています。
刻印は、15世紀前半の頃に築かれたと思われる城壁から見つかっています。
微妙な時期ですが、護佐丸が中城城に入り、改築する前の遺構でしょうか?
本土の城壁では、工事を担当した藩が盗難防止として刻印する事がありますが、沖縄で刻印は少ないようです。 本土とは、刻印の目的が違うのかも知れません。
中城城・刻印石



コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2023/03/20/9593402/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。