彦根城の周辺2015年05月07日

彦根城訪問後、周辺を散策します。
まずは城郭のチケットとセットになっている、玄宮園に向かいます。

楽々園
彦根藩4代藩主井伊直興が建てた槻御殿(ケヤキ)の事で、現在は建物の部分を「楽々園」と呼ばれています。 現存する建物は最大時の10分の1程度で、非常に大きな御殿でした。 井伊直弼も 1815 年にこの屋敷で生まれました。
彦根城周辺・楽楽園

彦根城周辺・楽楽園・御書院

彦根城周辺・楽楽園・内玄関

玄宮園
楽々園同様、槻御殿の一部で現在は庭園部分を「玄宮園」と呼ばれています。 この呼称が使われ始めた時期は良く解らないそうです。
彦根城周辺・玄宮園

彦根城の天守が見えます。 昔の人が見た風景もこんな感じだったのでしょうか。
彦根城周辺・玄宮園

彦根城周辺・玄宮園

彦根城周辺・玄宮園

彦根城周辺・玄宮園

彦根城周辺・玄宮園

馬屋
馬屋は現在保存事業による補修中作業中でした。
屋根の補修状況などは見学する事も出来ます。 かなり大きな馬屋で、21頭が収容できたそうです。
彦根城周辺・補修中の馬屋

彦根城周辺・補修中の馬屋

埋木舎
埋木舎は、井伊直弼が17歳~32歳までのうだつが上がらない頃に過ごした所です。 直弼は、ここで武術以外にも茶道や書画なども学んでいたそうで、不遇とはいえ、結構、充実していたのかも知れません。
彦根城周辺・埋木舎

訪問時は、所有者でもある大久保氏が館内にいました。 いろいろと説明していくれる気さくな方でしたが、資料の配置換え作業を放置して私に説明をしたので周囲の人から怒られてました...。
彦根城周辺・埋木舎

彦根城周辺・埋木舎

大久保氏の話では、建物の保存費用には個人の持ち出しも多いらしく、結構、大変な事だそうです。
彦根城周辺・埋木舎

二の丸佐和口多聞櫓
二の丸の関連建物は 1622 年頃には完成してたと言われてます。 現在の櫓は 1767 年の火災で焼失した後、1771 年に建てられた建物です。 この櫓は中堀に開く4つの口の一つです。
彦根城・二の丸佐和口多聞櫓

彦根城・二の丸佐和口多聞櫓

彦根城・二の丸佐和口多聞櫓・内部

彦根城・二の丸佐和口多聞櫓・内部

周辺には彦根城博物館などもありますが、閉館中で入る事ができなかったのは残念でした。 (6月1日に再オープンとの事。)
でも、連休をさけて訪問したのは正解でした。 ゆっくり見学する事ができました。