北海道 松前城 ― 2019年08月22日
松前城は外国船への備えとして 1849年に幕府の許可を得て松前藩が築城した城です。
元々、この場所には福山館と呼ばれる砦が 1600年に築かれていましたが、江戸幕府は「城」として扱っていませんでした。 北海道で唯一の日本式城郭であり、また、最後の日本式城郭でもあります。
松前城は戊辰戦争の末期、1868年に旧幕府軍の攻撃を受けて落城します。
廃藩置県後も天守は解体されずに存続し、痛みは激しかったものの太平洋戦争も乗り切りますが 1949年に火災で焼失します。
大手門跡
現在は松前城本丸に一番近い駐車場として使用されています。 門は現存してませんが、場所的にはこの駐車場の奥の方かも知れません。 バイクはここに駐車しました。
訪問当日は平日だったのでスカスカでしたが、それほど広くは無い駐車場なので、花見シーズン中はここに停めるのは難しいかも知れません。
隅櫓跡
搦手二ノ門の脇には隅櫓がありました。 櫓台のような物は残ってませが、櫓があった場所は判るように展示されています。
屋根は銅板葺、壁は柱を外に出さない大壁の二重櫓でした。
搦手二ノ門
2000年に復元された搦手二ノ門です。
資料や古写真、発掘調査の結果を元に、瓦葺の高麗門として復元されています。
この門の先は台場が並ぶ三ノ丸になります。 本丸に行く前に、先にそちらを見学します。
三本松
搦手二ノ門の外側には虎口のような空間があります。 その中央には三本松が植えられている土塁があり、敵に隠れる場所を与えてしまうように思え、最初は役割が判りませんでした。
どうやら、菅谷館跡で見た蔀(しとみ)土塁と同じ役割のようで、外側から門の様子を見えなくする為に置かれているようです。
三ノ丸
帯曲輪のように細長い三ノ丸です。
船舶からの攻撃に特化している城で、海側に面している三ノ丸には7基の台場が並ぶ、他には無い変わった城です。 砲台は海岸にもあったようです。
今は柵だけですが、昔はこの場所に馬坂門がありました。
三ノ丸からは海が良く見えます。
五番台場
当時の物なのか不明です。 何となく石垣が綺麗すぎるような気がするので、復元された物のような気がします...。
台場の外側は土塁によって少し高くなっています。 台場を設置する都合だと思いますが、土塁は台場より少し高い程度でした。 もっとも、この土塁も復元された物かも知れませんが...。
二ノ丸と三ノ丸の間にある水堀。
廃城になった時、外堀は埋め立てられたようなので、当時の姿とは違うのかも知れません。
この堀幅と石垣の高さでは防御能力に問題がありそうですし...。
番所跡
搦手二ノ門方面に架けられている木橋の横には番所がありました。 現在は松前城の立体図が展示されている場所です。
昔の絵図から番所の構造は、瓦葺き屋根の下見板張りの壁だったと考えられています。
天神坂門
三ノ丸への出入り口の一つで、現在の門は 2002年に復元された物です。
この先はつづら折りの登城路が城下町へと続きます。
ここで二ノ丸方面に引き返して天守のある資料館に向かいます。
松前城資料館入り口
搦手二ノ門から二ノ丸に入って正面にあるのが資料館の入り口です。 100名城のスタンプはここの受付に置かれています。
元々、この付近に多門櫓があり、この資料館入り口もそれを模しているのかも知れません。
天守
三重櫓と記載されている場合も多いので、最初から天守と言うより、三重櫓を天守の代用として使用していたのかも知れません。
1961年に鉄筋コンクリートで復元された天守で、内部は資料館として使用されています。
外観はできるだけ忠実に再現しているそうです。
この天守は老朽化が進んでいる為、木造で再建する計画があるようです。 ある意味、この天守は見納めになるかも知れません。
本丸
この場所に本丸御殿がありました。
松前城で不思議なのが本丸の位置で、城の北側にある寺院の方が本丸よりも高台にあります。 番所にあった立体図を見た限りでは北側には堀も無かったようで、南側(海側)の造りと比べるとかなり雑な感じがします。
実際、土方歳三に北側から攻められて1日で落城しています。
本丸御門
廃城後、ほとんどの建物は解体されてしまいました。 天守、本丸御門、東塀は解体を逃れましたが、本丸御門以外は 1949年の火災で焼失しています。 松前城では数少ない現存建築物の一つです。 屋根は天守と同じ銅板葺です。
ここからの眺めは典型的な日本式城郭ですが、北海道で見れるのはここだけです。
本丸御殿玄関
二ノ丸の端の方に展示されているのは本丸御殿の玄関です。
松前城は 1637年の火災で多くの建物が焼失しており、 1639年に再建されています。
その時、表御殿の一部は伏見城の一部を移築したと伝わります。
廃城後、解体された本丸御殿は松城小学校として使用されます。 使われなくなった玄関はここに移築されました。
二ノ丸
今は何もありませんが、ここには、土蔵や、鼓番、二重太鼓櫓などがありました。
今回は時間的な制限から、函館周辺の100名城、続100名城に絞っての訪問になりました。
これで北海道で残る100名城はチャシ跡群だけになります。 来年くらいには訪問できると良いのですが...。
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