京都府 神護寺2020年11月21日

781年、和気清麻呂は国家安泰を祈願して都の北西に神願寺を創建します。  また、ほぼ同時期に愛宕五坊の一つとして高雄山寺を創建しています。 弘法大師空海は唐から帰国した後、809年からの 12年間を高雄山寺の住職を務めます。
824年、この2つの寺院を合併して寺の名を神護寺と改めます。 994年、1149年に火災で多くの建物を消失し荒廃しますが 1184年に再興、応仁の乱でも戦災に遭いますが 1623年に再興され、現在の姿はその頃の物のようです。

高雄へは JR バスの高雄フリー乗車券を使用しました。 市バス・京都バスの1日乗車券の範囲外ですし、京都からだと乗り換えも必要になるので、高雄方面だと JR バスの方が良さそうです。 京都駅から1時間弱で山城高雄のバス停に到着。 バス停から、もみじ屋の方に歩き、その手前の細い下り坂を進みます。 前日に雨が降った為、路面の落ち葉が滑るのが少し怖かったです...。
神護寺へ

参道
清滝川に架かる高雄橋を渡ると右手に神護寺への登坂が見えてきます。
道路一面が落ち葉で埋まっている状態なので、訪問時期としては少し遅かったのかも知れませんが、これだけ落ち葉で埋め尽くされると、それはそれで綺麗な物です。
神護寺・参道

神護寺・参道

硯石
向かって右側に見える大きな石が硯石(すずりいし)です。 参道の途中にあります。
弘法大師空海が神護寺にいらっしゃる時、勅額の依頼を受けますが橋が流されてしまいます。 空海はこの石を硯の代わりに使い、対岸に立てかけてある額に筆を投げて文字を書いたと伝わります。 空海には、こんな感じの逸話が多いですね...。
神護寺・硯石

参道には茶屋や料理屋が何軒かあり、落ち葉に囲まれた景観が美しかったです。
景色が良さそうだったので帰りに寄ろうかと思ったのですが、まだ時間が早かったので諦めました。 逆ルートにして、ここで食事を取るのも良かったかも知れませんが、そのくらいの時間帯は混雑しそうですね...。
神護寺・硯石亭

きつい階段を登ると入り口の楼門が見えてきます。
残念ながら訪問当日は修繕工事中だったので、どんな楼門かは不明でした。
1623年に建立された楼門なので、江戸時代初期に再興された時の楼門らしいです。
神護寺・楼門

和気清麻呂霊廟
神護寺の元となる寺院を創建した和気清麻呂が祀られています。
和気清麻呂は、称徳天皇の寵愛を受けた道鏡が天皇に即位する事を阻止した人物です。 道鏡を皇位につける神託が宇佐八幡宮から称徳天皇に届けられると、和気清麻呂は真偽を確認する為に宇佐八幡宮に向かいます。 神託が正しく無い事を称徳天皇に伝えると、天皇は激怒しますが道鏡の即位は失敗に終わります。
神護寺・和気清麻呂霊廟

神護寺・和気清麻呂霊廟

鐘楼
和気清麻呂霊廟の横にある階段を登ると、その先に鐘楼があります。
現在の鐘楼は 1623年に建立されました。 江戸初期に再興された時に再建されたと思われます。 梵鐘は 875年に鋳造された古い物で国宝の指定を受けています。 神護寺は何度も火災に遭っているのに、よく現在まで残った物です。
神護寺・鐘楼

神護寺・鐘楼

明王堂
940年、平将門の乱を鎮圧する為、神護寺に祀られていた講堂大師作不動明王像が関東に出開帳されます。 その像を本尊として成田山新勝寺が創建されます。 その時の像が神護寺の物だったとは知りませんでした。
建物の築年代は不明ですが、現在の明王堂の本尊は平安時代後期の作と考えています。
神護寺・明王堂

五大堂
1623年に建立された建物で、元々は講堂でした。
五大明王(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)が祀られている事から五大堂と呼ばれているのだと思います。
神護寺・五大堂

毘沙門堂
こちらも 1623年に建立された建物で、昔はここが金堂でした。
平安時代作の毘沙門天立像が安置されています。
見た感じ、五大堂に面している方が裏側に思えます。 だとすると、建物の正面が境内の端の方を向いており、ちょっと不自然な位置関係に思えました。 昔は境内の
神護寺・毘沙門堂

大師堂
正確な年代は不明ですが、現在の建物は桃山時代に再建された物のようで、「納涼房」とも呼ばれているようです。
弘法大師空海の住房だった場所のようですが、実際に住んでいた建物では無さそうです。
板彫弘法大師像が安置されています。
神護寺・大師堂

手前が五大堂で、奥が毘沙門堂。
神護寺の現在の姿は、だいたい、江戸初期に再興された時の姿のようです。
神護寺・五大堂と毘沙門堂

金堂
階段を登った、一段高い場所に金堂があります。
金堂は 1934年に建立された建物で、思いの外、新しい建物でした。 大阪の実業家、山口玄洞が寄進した物です。
国宝指定を受けている本尊の薬師如来立像は、延暦年間(782 ~ 806年)に造られた物で、神願寺の頃から本尊だったようです。
神護寺・金堂へ

神護寺・金堂

龍王堂
金堂裏の多宝塔に向かう途中にあった祠です。 こちらも山口玄洞が建てた祠のようです。
仏教における龍王は、インド古来の蛇神ナーガのようですが、中国の道教ではそれとは別の龍王信仰が存在するようです。 日本の場合は中国伝来の龍と水神が習合した物らしく、農耕や漁業に関する神様のようです。
神護寺・龍王堂

多宝塔
なんと、こちらも山口玄洞が寄進した建物のようです。
大阪で財を成した玄洞は、関西や地元である尾道の公共事業や寺院に多額の寄付を行っているらしく、昭和初期の神護寺復興事業もその中の一つのようです。 すごい財力です..。
安置されている五大虚空蔵菩薩像は国宝の指定を受けています。
神護寺・多宝塔

閼伽井(あかい)
多宝塔から地蔵院の方に向かう途中にある井戸です。
弘法大師空海が自ら掘った井戸だと伝わります。 空海はこの井戸の浄水を使用して密教の儀式、灌頂(かんじょう)を行いました。
仏教用語では、仏様にお供えする水の事を「閼伽」と言うそうです。
神護寺

神護寺・閼伽井

地蔵院
案内が無かったのではっきりしないのですが、江戸時代に建立され、明治時代に再建された建物のようです。 神護寺の境内からは少し外れた場所ですが、この付近の紅葉は見事です。
神護寺・地蔵院

神護寺

かわらけ投げ
地蔵院の近くでは厄除の「かわらけ投げ」が出来ます。
「かわらけ投げ」は鎌倉宮や他の神社でも同じような物を見た事があるので、岩にぶつけるのを想像していたのですが、ここのは谷底に向かってぶん投げる豪快な物でした。
かわらけ投げは、神護寺が発祥の地との事です。
神護寺・かわらけ投げ

だいぶ落葉が進んでましたが、落ち葉が埋め尽くす参道を静かに歩くのも良い物です。
京都市街から離れている事もあり、観光客も少なめで良い場所です。
また来たいですね...。
神護寺

神護寺


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