愛媛県 臥龍山荘 ― 2015年09月21日
大洲城天守の入場券を購入する際、臥龍山荘(がりゅうさんそう)とのセット券の事を勧められ、ついでなので訪問してみる事にしました。 臥龍山荘は、その時初めて知りました。
この地に庭園を初めて造ったのは藤堂高虎の家臣、渡辺勘兵衛で、文禄(1593 ~ 1596 年)の頃でした。 その後、大洲藩藩主加藤泰恒が桜や楓を植えて游賞の地としました。 「臥龍」と言う名称は加藤泰恒が付けたと伝えられています。 その後、荒廃しましたが、明治30年頃に河内寅次郎氏がこの地を購入して現在の山荘を作り上げました。
最初、大洲城から歩いて向かうつもりでしたが、予想以上に距離がり、また、山荘の近くの河原に駐車場がある事が判ったのでバイクで近くまで移動しました。
臥龍院
河内寅次郎が構想10年、工期4年で建てた建物です。 建物内部の撮影はNGなので外から庭の雰囲気と共に撮影しました。
霞月の間の丸窓は、仏間の明かりを月に見立てているなど造りが凝っています。 内部がお伝えできないのが残念です。
知止庵
元々は浴室だったそうですが、昭和24年に茶室に改造された建物です。
しかし、茶室の入口は本当に小さい...。
ここの庭園の苔は美しいです。 水場も苔でびっしり。
不老庵
ロクな写真が撮れてない事に後で気付きました...。 でも、パンフの写真を見ると、この建物は外から見た方が良いのかも知れません。 (写真はありませんが...。)
潜龍洞
不老庵の裏手に「潜龍洞」と書かれた氷室跡がありました。
現在も氷室として使用しているとは思えないので、何に使用されているかは不明です。
庭園の所々に花が飾られており、よく手入れされていて美しいです。
訪問予定には無かった場所ですが、なかなか良い場所を知りました。 広大な日本庭園とは違った良さがあります。
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