大阪府 芥川城2019年12月28日

芥川城は 1516年までに摂津・丹波の守護だった細川高国によって築城されました。
当時の細川氏は同族同士の争いが激しく、高国は細川春元によって自害に追い込まれます。 しかし、その春元も三好長慶によって追放され、1553年には長慶が城主になります。 やはり、協力関係が築けてない一族は弱体化しますね...。
長慶が病没した後は信長の力を借りた足利義昭に奪われ、1568年には義昭の重臣・和田惟正が城主を務めます。 しかし翌年には拠点を高槻城に移し、芥川城は廃城になります。

芥川城の続100名城スタンプは高槻駅の観光案内所で押せるのですが、訪問当日の12/28から年末年始休暇に入った事を現地て知って焦りました...。 高槻市立しろあと歴史館も改修工事中なので期待出来ず、とりあえず城の散策を先に行う事にします。
芥川城には駐車場が無いようで、高槻駅からバスで塚脇バス停まで移動しました。 バスの本数はそこそこあります。
芥川城・塚脇バス停

バス停から住宅街の中を約10分程度歩くと芥川城への入り口に付きます。
向かって右側の細い山道が芥川城への入り口です。
なお、芥川城は私有地なので、迷惑をかけないように見学しましょう。
芥川城・入り口

芥川城の縄張りに入る手前に石垣跡のような場所が点在していました。
野面積みで古い感じがする石垣ですが、芥川城と関係あるのでしょうか?
「三好山へ40分」の案内があり、前日の飯盛城のような急な登坂を覚悟します...。
芥川城・石垣

25番郭
郭の名称が不明なので、高槻市のホームページや高槻市しろあと歴史館で配布されている芥川城の縄張り図に記載されている番号を使用します。
芥川城の縄張りに入ると「曲輪群」の案内があったので脇道に入ります。
そこには大きな郭と池がありました。 城において水源の確保は死活問題なので、当時は重要な場所だったのかも知れません。 土塁のような跡も良く残っています。
芥川城・25番郭

芥川城・25番郭

23番郭
25番郭の隣いある曲輪で、墓所になっていました。
墓石には享保三年(1718年)の文字が見えたので、かなり前からこの地に関わりのある人達の墓所として使用されていたようです。
先人達に挨拶して散策を続けます。
芥川城・23番郭

竪土塁
山の斜面を写した写真ですが、左側の土塁は谷に向かって伸びています。
竪堀は良く見かけますが、竪土塁と言うのは初めて知りました。
芥川城でも竪土塁はここだけのようです。
芥川城・竪土塁

土橋
東側の郭と中央の郭は堀切で分断されています。
ここは堀切を渡る為に設置された土橋で、両側が意図的に削られた細い通り道になっています。
芥川城・土橋

芥川城・堀切

知らないうちに堀底を歩いていたようです。
左側の一段高い場所が16番郭と思われる場所です。 しばらく進むと山の斜面を登る細い道がありましたが、その先は進入禁止になっていました。
現在は16番、17番の郭への立ち入りはできないようです。 台風のせい?
16番は重要そうな郭だったので見学できなくて残念です。
芥川城・堀切

芥川城・17番郭へ

主郭に向かう途中にあった倒木です。
恐らく、前回の台風の影響だと思いますが、根こそぎ引き倒されています。
台風直後はもっと荒れていたのかも知れません。
芥川城・倒木

11番郭と思われる場所からの眺めです。 (ひょっとしたら10番かも...。)
方角的に高槻市の街並みでしょうか? 素晴らしい眺めです。
これだけの見晴らしなので、当時も南側の監視場所として使用されていたのかも知れません。
芥川城・11番郭

いよいよ芥川城の中枢に入ります。
この坂を上った先が9番郭で、9番郭を経由して主郭に入ります。
恐らく、この先には郭に入る手前に城門があったのだと思います。
芥川城・9番郭へ

主郭側に少し登った所から9番郭を眺めた所です。
この郭はかなり細長い郭で、主郭の北側を守る郭群へと繋がります。
芥川城跡は私有地なので仕方がないのですが、散策できない郭が多いのがちょっと残念です...。
芥川城・9番郭

主郭側から見た虎口の様子です。
普通に考えて、この辺りには城門があったはずです。
芥川城・主郭の虎口

主郭は北側と南側に区画分けされていたようで、こちらは南側。
芥川城の主郭周辺は眺めが良いです...。 ここに来るのは晴れた日は良いですね。
飯盛城の様な急坂を覚悟していたのですが、ほとんど汗をかかずに登れてしまいました。
ちょっとあっけない感じもします。
芥川城・2番郭

こちらが主郭の北側です。
発掘調査で建物の礎石跡が見つかっており、山城には珍しい大きな建物があったようです。
1556年に火災があり、松永久秀が醍醐寺の建物を移築した記録もあるようで、火災の跡なども見つかっているようです。
現在は小さな社があるだけでした。 何が祀られているのかは分からなかったです。
芥川城・主郭

主郭から11番郭付近まで戻り、南西側にある田ノ丸に向かいます。
田ノ丸と主郭の間には大規模な堀切があり、今でのその痕跡が残っています。
芥川城・堀切

田ノ丸
縄張り図では12番となっている郭だと思います。 名前の由来などは分かりませんでした。
この先の一段下がった所にも郭があるようですが、散策路は整備されていないようです。
ここから塚脇バス停の方に引き返す事にします。
芥川城・田ノ丸

大手路への分岐点まで戻ってきました。
この先には大手門の石垣があり、ここからでもバス停に戻れるような道案内があったので、大手門の石垣を見学しながら帰る事にします。
芥川城・大手路

大手門
右側の細い山道が大手路で、石垣付近に大手門がありました。
大手門の横には石垣で守られた郭があったようですが、石垣の中央部分は崩れてしまっているようで、下には大きな石が散乱していました。
芥川城の縄張り内では石垣を見かけなかったので、ここを重要視していた事が想像できます。
芥川城・大手門の石垣

「ここから登って来たら大変かも」と思いつつ大手路を下るとなんと行き止まり...。
扉になっているのですがロープで縛られており、私有地なので外して進んで良いのか判断できません...。 右側に通路が伸びていたので少し進みますが道に迷いそうだったので引き返します。 (大土塁の方に出たのかも知れません。)
仕方がないので、大手路を登り直して元の道に戻るハメに...。
後で配布されていた縄張り図を見たら「途中に獣除けの柵があります。 扉を開けたら、必ず閉めてロープを結んでください。」と記載されていました...。
芥川城・大手路

無駄な動きも多かったのですが、無事、散策を終えて高槻駅に戻ってきました。
続100名城のスタンプを押す為にダメもとで高槻市立しろあと歴史館に向かいます。
通用口のインターフォンを押したら職員の人が対応してくれて無事にスタンプが押せました。 再訪を覚悟していたので凄く助かりました!