川越城本丸御殿2013年09月14日

100名城にも選定されている川越城は、扇谷上杉持朝が 1457 年に築城したのが始まりになります。 扇谷上杉氏とは、室町時代に関東地方に割拠した上杉家の諸家の一つです。
1537 年に後北条氏に奪われてしまい、奪回を試みましたが失敗しています。秀吉の関東遠征時には前田利家によって落城させられています。
本丸御殿が建造された時期ははっきりしませんが、17世紀後半に描かれた「江戸図屏風」に描かれているので、築城時期からだいぶ経ってからなのかも知れません。
川越城・本丸御殿

入り口で受付を済ませ、長い廊下の一番奥にあるのが物頭詰所です。 物頭とは、番頭(侍大将)に次ぐ地位で、足軽組などの頭(足軽大将)の事だそうです。
川越城・本丸御殿・廊下

川越城・本丸御殿・物頭詰所

家老詰所周辺になります。 窓が少ないせいか少し薄暗くかんじますが、行灯が良い感じです。 一部の廊下は板張りではなく畳み張りになっています。
川越城・本丸御殿・内部

川越城・本丸御殿・廊下

中之口
正面玄関よりも一回り小さな入り口になります。 実質的な玄関と言った所でしょうか。
川越城・本丸御殿・中ノ口

広間
畳み36畳の広さがあります。 船津蘭山が描いた杉戸絵や杵黒熊毛槍鞘などが展示されています。 杉戸絵は、当時は廊下の間仕切りに使われていたそうです。
川越城・本丸御殿・広間

川越城・本丸御殿・杉戸絵

川越城・本丸御殿・杵黒熊毛槍鞘

川越城で本丸御殿以外に当時を偲ばせる物はあまりありませんが、少し周辺を散策します。 下は富士見櫓跡になります。 現在、復元を目指して調査・研究が行われているそうです。 現在は神社が建っている程度です。
川越城・富士見櫓跡

川越城・富士見櫓跡・富士見稲荷神社

川越城・富士見櫓跡・富士見稲荷神社


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2013/09/14/7434749/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。