兵庫県 姫路城(3) ― 2018年09月17日
前回の続きです。
三国堀から西ノ丸、好古園へと散策を進めます。
三国堀
「るノ門」と「菱の門」の間にあるのが三国堀です。 堀と言うより四角い貯水池のような印象を受けますが、戦略的な意味を持った「堀」のようです。 名前の由来は池田輝政が播磨、淡路、備前の三国を治めていた事からのようです。
三国堀は東側にある「るノ門」を目立たなくし、「菱の門」から直進した敵を挟み撃ちにする戦略などがあるようです。
西ノ丸南門跡
菱の門の横に隠れるようにある通路で、ここから西ノ丸に入れます。
当時はこの辺りに高麗門があったらしいです。 また、ここからは死角になりますが、坂の左側には武者溜りがあります。 門を突破して前進すると左から伏兵が飛び出す仕組みです。
西ノ丸
1618年、本多忠政によって西ノ丸が築かれ「中書丸」と呼ばれる御殿が建てられました。 御殿は、嫡男、忠刻に嫁いだ千姫の化粧料が使用されたようです。
千姫は豊臣秀頼と結婚してましたが大阪城落城時に脱出、1616年に忠刻と再婚しました。
しかし、生まれた長男は3歳で病死、夫、忠刻も31歳で亡くなります。 江戸に帰った千姫は出家し、70年の生涯を閉じます。 なかなか大変な人生だったようですね...。
百閒廊下
西ノ丸を囲むように建てられた、長さ 300m ほどある長屋です。
曲輪の外側は長い1本の廊下で、内側に小さな部屋が並びます。
北側の部分は「長局」と呼ばれ、西ノ丸の御殿で働く女中の住居として使用されていたようです。
百閒廊下の小部屋から天守が良く見えます。 当時、ここで働いていた人々が見た風景を自分が今見ているのかと思うと不思議な感じです。
姫路城の見学が一通り終わり、料金所の外に出ます。
好古園との共通券を購入したのでそちらに向かいます。 好古園は内堀の外側にあり、西ノ丸のさらに西側にあります。
途中、内堀を進む遊覧船に出会いました。 この船、当時の和船を復元した物らしいです。
好古園は、姫路市政100周年を記念して平成4年に造営された庭園です。
この場所は昔は武家屋敷があった場所で、好古園の通路や区画は、発掘調査で判明した当時の地割を再現しているそうです。 なので、姫路城の古地図と現在の庭園の地図を比較すると通路などが一致している事が解ります。
好古園・御屋敷の庭
ここは姫路藩主の下屋敷があった場所で、好古園で最大の庭園になります。
活水軒から建物内に入り、渡り廊下を通って潮音斎に行く見学ルートがメインになります。
案内の写真を見た感じ、紅葉シーズンが良さそうですね...。
好古園を南北に区切るメイン通りです。 当時は両側が武家屋敷でした。
左側の門の先が双樹庵で、抹茶をいただく事ができます。
古地図と現在の双樹庵の位置関係を見比べると、川合家の屋敷があった場所かと思います。
右側(南側)は細かく区切られた庭園が並びます。
好古園・流れ平庭
小川の流れを再現したような庭園です。
庭園と庭園の間は簡単な垣根のような物で仕切られてました。
好古園・夏木の庭
落葉樹を中心に季節感のある庭園が「夏木の庭」です。
この庭は訪問する季節によって雰囲気がガラッと変わりそうです。 この時期は控えめな感じ。
好古園・松の庭
瀬戸内の赤松林を模したとされる庭園です。
好古園・竹の庭
こちらは竹を中心した庭園です。
テーマ毎に造営した庭が連なって庭園を構成しているのは面白いです。
ちなみに、「好古園」の名称は、藩校「好古堂」に由来するようです。
姫路城は「白鷺城」とも呼ばれており、修復直後には真っ白い城が復活していました。
その頃は整理券が配られるほど混雑していたようです。
修復から3年経った今、だいぶグレーに近い色に変わってきたようで、整理券が配られる事はめったに無いそうです。 これ以上混雑するのも嫌なので、これ位が丁度良いですね...。
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