長崎県 福江城跡2023年05月03日

五島列島の福江島の福江藩は、1614年の火災で江川城を消失すると、石田陣屋で行政を行う事になります。 福江藩主の五島氏は何度も築城願を幕府に出しますが、なかなか許可が出ません。 ようやく許可が出て 1849年に築城を開始します。 しかし、1863年に城が完成すると、すぐに幕末を迎え廃城となります。
福江城は、かなり新しい年代に築城された城だと言えますが、当時の建物はあまり残っていません。 敷地は現在、長崎県立五島高等学校として使用されています。

出来れば、五島列島で宿泊したかったのですが、日程的に合わなかったので 8:05 の始発で出発し、16:50 の最終便で戻って来る日帰り旅行になります。
九州商船はバイクでも事前予約可能なので、早めに行って順番待ちする必要もありません。
福江~長崎間の所要時間は片道 3時間程度です。
フェリーも新しそうです。
フェーリー・万葉

長崎港

女神大橋

フェーリー・万葉

福江港から福江城跡にすぐ到着。
最初は南側の駐車場に向かい、門から中に入ろうとしたら校門でした..。
五島氏第 33代当主、五島盛光は福江城跡を学校の敷地として寄付します。 その時、学校の建設費用として私費も寄付しています。 五島氏以外の寄付金も集まり、五島高等学校の前身である五島中学校が建設されました。
城跡がそのまま学校になっているパターンは、今まで何度かあったので驚きません。
が、不審者扱いされる可能性があるのでここから中に入るのは断念します。
周辺の水堀の様子を見学した後、北側の五島観光歴史資料館に移動します。
福江城・南側

福江城・南側内堀

福江城・南側内堀

表門
五島観光歴史資料館の出入り口付近の虎口は表門だったと思われる場所です。
昔は櫓門だったらしいです。
福江城は、龍岡城と同じく幕末期に築城された新しい城です。 この辺りの石垣は綺麗な切込接ぎで積まれており、技術的に洗練されている印象を受けます。
福江城・表門

福江城・表門

五島観光歴史資料館
1989年に建てられた天守のような形をした資料館で、ここは二之丸だった場所です。
続 100名城のスタンプはここの受付で押しました。
これで、難関と思われていた、金田城と福江城のスタンプが押せたので、続 100名城の完走も現実味を帯びてきました。
五島観光歴史資料館

横町口蹴出門
ここは、福江城の搦手門でした。 高麗門は築城時の建物のように思えます。
この門の先が五島氏庭園隠殿屋敷で、そこでも続 100名城のスタンプが押せそうです。
立ち寄りたかったのですが、ガイドの説明を聞きながらの見学になると、時間的に難しくなる可能性があるので今回は止めときました。
でも、後になってみると、その位の時間的余裕はあったかも知れません。
福江城・横町口蹴出門

福江城・横町口蹴出門付近の石垣

外濠公園側の石垣と水堀
福江城周辺の石垣は、だいたい野面積みのようです。
この辺りの水堀が一番立派かも知れません。 水堀の幅がかなり広いです。
福江城・外濠公園側の石垣

奥に見えるのが五島観光歴史資料館です。
水堀の中ですが、その手前が外桝形のような感じになってます。
この辺りが水門だった場所で、昔はそのまま海に出れたようです。
福江城・外濠公園側の石垣

人おとりの見学を終えたのが 13:40頃。
余裕をもって出航1時間前の 15:50 には福江港に戻りたいですが、それまでの間、礼拝堂を見学する事にします。


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