長崎県 楠原教会、堂崎天主堂2023年05月03日

五島列島には3カ所ほど世界遺産登録されている礼拝堂がありますが、残念ながら福江島には世界遺産登録された礼拝堂は存在しません。
ですが、歴史の古い礼拝堂は存在するので、帰りの便まで時間が許す範囲内で見学したいと思います。

楠原教会
1612年に布告された禁教令は、明治時代に入った 1873年に廃止されます。
それまで弾圧されていた信者は資金を出し合い、1912年に楠原教会を建てます。
この教会は五島で3番目に古い教会になります。
普段は内部の拝観も可能なのですが、コロナの影響で拝観は中止されてました。
それでも、このレンガ造りの美しい外観を観るだけでも来たかいがありました。
観る者を引き付ける建物です。
楠原教会

楠原教会

楠原教会

誰もいない古い教会に一人でいるのは、ちょっと不思議な感じです。
寂しさも感じず、ただ風だけが吹いてる感じでした。
名残り惜しいですが、滞在時間も限られているので次の目的地に移動します。
楠原教会

堂崎天主堂・駐車場
13:40 頃、堂崎天主堂の駐車場に到着。
普通車なら、10台くらいは停められそうです。
この先に駐車場は無いので、ここに停めて徒歩で堂崎天主堂に行く事になります。
堂崎天主堂・駐車場

りんご石
干潮だったみたいで、入り江が歩けるような状態でした。
気になったのが、入り江にあった2つの丸い石。
「りんご石」と呼ばれてるそうです。
潮の流れで、こんなに丸くなるんですかね? この石だけ丸いのも気になります。
まぁ、堂崎天主堂とは直接関係ありませんが...。
堂崎天主堂・りんご石

堂崎天主堂、キリシタン資料館
1873年に禁教令が廃止され、その4年後にフランス人宣教師フレノーとマルマンが五島列島を訪れます。 1879年にマルマンが堂崎小聖堂を建立して初代主任司祭になります。 それが堂崎天主堂の始まりです。
1904年に用地拡張が行われ、それに合わせて聖堂の建て替えが始まります。
1908年に現在の煉瓦作りのゴシック様式の聖堂が完成しました。 1977年からは資料館として公開されてますが、現在でも定期的に儀式が行われているようです。
堂崎天主堂

堂崎天主堂

堂崎天主堂

堂崎天主堂

堂崎天主堂

聖ヨハネ五島殉教像
五島出身の伝道師を志した 19歳の少年で、1597年に大阪のイエズス会宣教師と同宿中に捕らえられました。 その後、長崎市西坂で、他の神父・信者 25名と共に十字架の上で処刑されます。 殉教者となった 26名は、1862年に聖人の列に加えられ「日本二十六聖人」と呼ばれています。
堂崎天主堂・聖ヨハネ五島殉教像

アルメイダの宣教
ザビエルの日本上陸から 17年後、アルメイダとロレンソが五島領主宇久純定に招かれキリスト教の布教が行われました。 アルメイダは純定の病気治療を行っており、それがきっかけで招かれたようです。
さらに、息子の純尭は、洗礼を受けてキリシタン大名となります。
キリスト教と領主との関係が良かった頃のレリーフのようですね...。
堂崎天主堂・アルメイダの宣教

静かに佇むマリア像。
平和です。
堂崎天主堂・マリア像

堂崎天主堂を出た後、フェリー乗り場で買った昼食用のお弁当を入り江で食べます。
14:20 なので、だいぶ遅い昼食です。
さらに、雨がポツポツと降ってきました。 雨具をホテルに置いてきたので、早めにフェリー乗り場に戻る事にします。
堂崎天主堂・入り江

15:30 に福江港ターミナルに到着。
バイクの停め場所が分からず苦労しましたが、ターミナル裏の乗船場所付近に停めても大丈夫そうでした。
出航は 16:50。 乗船手続きまで、まだ時間があるのでお土産を買って出航を待ちます。
福江港ターミナル

福江港ターミナル・乗船待ち

長崎港に到着したのは 20:00 頃。
そこからホテルまで高速道路を使って 30分程度なので、思ったよりも大変なツーリングでした..。 雨が止んでいたのが助かりましたが...。


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