長崎県 眼鏡橋2023年05月04日

1634年、興福寺の2代目住職だった黙子如定禅師が架設したと伝わる石橋で、現存するアーチ型石橋では日本最古の物です。
黙子如定禅師は中国江西省出身で、眼鏡橋を架設する時には中国から石工を呼び寄せたようです。 日本にも石垣を築く優秀な石工は存在したと思いますが、かなり精工な作りなので、国内で技術者を集めるのが難しかったのかも知れません。

興福寺に行くのであれば、市役所駅で降りた方が近いのですが、興福寺と関係性のある眼鏡橋に立ち寄りたかったので、めがね橋駅から歩く事にしました。

袋橋
めがね橋駅より先に見えたのが袋橋で、こちらもかなり古そうなアーチ式石橋です。
中島川の第11橋ですが、この橋の情報は何も残っておらず、架設年月は不明なようです。
眼鏡橋に次ぐ古い石橋との説もあるようです。
昔は袋町(現、栄町)にあった事から「袋町橋」と呼ばれてましたが、1882年に袋橋と命名されました。 きっちりと積まれた石積が美しいです。
1982年の水害では半壊しましたが、流出は逃れたようです。
長崎・袋橋

眼鏡橋
こちらが本命の眼鏡橋です。
結構な雨でしたが、観光客が大勢いました。 眼鏡橋周辺は護岸下の方まで降りられる構造になっているようです。 でも、雨で濡れていると滑りそうな階段だったのでご注意を。
1647年の水害で眼鏡橋は損壊しますが、翌年に平戸好夢によって修復されます。
その後も何度か水害の被害を受けますが、橋が流される事は無かったよです。 1982年の水害でも、かなりの被害を受けますが、橋が流される事はありませんでした。
長崎・眼鏡橋

長崎・眼鏡橋

長崎・眼鏡橋

長崎・眼鏡橋

ハート石
眼鏡橋周辺の護岸にはハート型の石が埋め込まれた場所があります。
護岸工事の遊び心で埋められたようで、全部で20以上あるとも言われてます。
ここは人が集まっていたので簡単に見つかりましたが、全部見つけた人はいるのでしょうか..。
長崎・眼鏡橋・ハート石

なお、眼鏡橋は、皇居・二重橋のモデルにもなった橋です。
下はだいぶ前に皇居に行った時の写真です。
規模感がだいぶ違うので何とも言えませんが、似ていると言えば似てますかね...。
皇居正門石橋

一覧橋
中島川の第6橋。
1657年に高一覧がアーチ式の石橋を架設しましたが、1721年に洪水で流出します。
その後も、この場所の橋は架設と流出を繰り返し、1882年に最初に橋を架けた高一覧にちなんで一覧橋と命名されます。
なお、1801年に長崎奉行所によって架設された橋も  1982年の水害で流出しており、わりと最近に再建された物のようです。
長崎・一覧橋

長崎・一覧橋

何年ながら雨によって眼鏡橋の由来となっている、水面に映った橋は見れませんでした。
でも、長年水害に耐え続けている眼鏡橋が見れたのは良かったです。
なにしろ、ここはバイクで来ても停める場所が無く、行き難い場所なので...。