京都府 二尊院 ― 2017年11月25日
嵯峨天皇の勅願により 承和年間(834 ~ 847年)に開山されたと伝わる寺院です。
寺の名前の由来である「二尊」とは、「発遣の釈迦」と「来迎の弥陀」の事を指します。
しばらく荒廃してましたが、鎌倉時代初期に法然の高弟湛空によって再興されます。
他の京都の寺院と同様に、こちらの寺院も応仁の乱で焼失しますが、約30年後の 1521年に本堂などが再建されました。 ここまで応仁の乱の影響があったと言う事なので、当時の京都の被害が相当な物だった事が解ります。
総門は 1613年に伏見城から移築された物です。
受付を通って中に入ると「紅葉の馬場」と呼ばれる参道が一直線に続きます。
参道の先は塀で突き当りになっており、直接本堂に入れない形状になっています。
なんだがお城みたいな構造です。
勅使門(唐門)
本堂側から見た所です。
勅使門なので、本来は天皇の勅使が訪れた時だけ開かれる特別な門でした。
現在は誰でも入れる本堂への入り口として使用されています。
本堂
立派な本堂です。
本堂と、勅使門(唐門)は、1521年に三条西実隆が寄付を求めて再建した物です。
本堂横にある霊屋。 奥に見えるのは九頭竜弁財天堂です。
独特の雰囲気のある建物ですが、案内にも説明が無いので詳細は不明です。
「霊屋」なので、誰かしらの霊を祀っているのだとは思いますが...。
九頭竜弁財天堂
弁財天の外に、大日如来、不動明王、毘沙門天などが祀られています。
昔、竜女池から夜な夜な霊蛇が現れ扁額を嘗めてしまい、字が消えそうになりました。
そこで湛空上人が戒法を授ける血脈を書いて池に沈めた所、霊蛇が成仏したそうです。
鐘楼
鐘楼は慶長年間(1596 ~ 1615年)に建立されました。
最初の梵鐘は 1604年に鋳造された物でしたが、現在の梵鐘は 1992年に再鋳された物です。
ここの梵鐘は、参拝者が自由に撞く事ができます。
最初の梵鐘は 1604年に鋳造された物でしたが、現在の梵鐘は 1992年に再鋳された物です。
ここの梵鐘は、参拝者が自由に撞く事ができます。
廟に設置されている案内や Google MAP 上では「法然上人廟」となっていますが、パンフレットや二尊院のサイトでは再興した法然の高弟「湛空上人廟」となっています。
どちらが正しいのか不明ですが、御堂内の石碑は 1253年に彫られた物です。
二尊院は「小倉あん発祥の地」でもあるそうです。
この辺りの菓子職人が、空海が持ち帰った小豆の種子を栽培し、御所から下賜された砂糖を加えて餡を作って献上したのが始まりとの事。
そう言えば、寺院裏にある山は「小倉山」でしたね...。
八社の宮
八社が祀られている社で、室町時代末期に建立された物です。
境内の中心部から見た場合、鬼門の位置に鎮座しているようです。
ここの紅葉も中々な物です。
紅葉見物で京都嵐山に来たのであれば立ち寄りたい場所です。
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