佐賀県 吉野ケ里遺跡2019年04月30日

吉野ケ里遺跡は 1986年に発見された佐賀県の吉野ヶ里丘陵にある遺跡です。
発見の切っ掛けは大規模な工業団地計画に伴う発掘調査でした。
発見されたのは弥生時代全般~古墳時代初期の頃の遺構と考えられています。 現在は吉野ケ里歴史公園として管理されており、弥生時代後半(3世紀頃)の様子を復元しています。
100名城に登録されている城跡の中では一番古い遺構になります。

久留米城から約1時間程度で東口の駐車場に到着しました。
吉野ケ里歴史公園の東口駐車場は物凄く広く、バイク専用の駐車スペースもあります。
朝から降り続いていた雨の方は吉野ケ里遺跡に到着する頃にや止んでました。
吉野ケ里遺跡は想像していたよりも大規模な公園で、いろいろな体験プログラムなども開催されているようです。
吉野ケ里歴史公園・駐車場

100名城のスタンプは東口料金所に設置されています。
写真ではガラガラのように見えますが、ちょうど人が引けたタイミングで撮影しただけです。
ただ、園内はかなり広いので、ごった返すような事は無いと思います。
想像以上に広い公園なので、遺跡を復元している場所に絞って見学する事にします。
吉野ケ里歴史公園・東口料金所

逆茂木
弥生時代に入ると稲作が広まり、やがて他人の富を略奪する行為が始まります。
集落は周辺を柵や堀で囲み、外敵からの侵入に備えます。
特に出入り口付近は厳重に守れており、「逆茂木」と呼ばれる尖った杭が打ち込まれました。
発掘調査ではこの「逆茂木」が打ち込まれたと考えられている穴が多数見つかっています。
吉野ケ里歴史公園・逆茂木

南内郭入り口付近です。
写真手前の入り口が脇門で、奥の櫓台の辺りが正門です。
正門は櫓門になっており、櫓台には兵士などが警備していたと考えられています。
ここから南内郭に入ってみます。
吉野ケ里歴史公園・南内郭入り口

吉野ケ里歴史公園・南内郭の堀

南内郭には物見櫓や王家の住居などの建物が復元されています。
郭の周辺は柵や堀で囲まれており、弥生時代にはすでに城の原形らしき物が存在していた事には驚かされます。 発掘調査で鉄器が見つかっているので、殺傷力の高い鉄製の武器もこの時代には存在していたのでしょう。
吉野ケ里歴史公園・南内郭

吉野ケ里歴史公園・南内郭

南内郭には4個の物見櫓が復元されています。
櫓台は弥生時代の建物とは思えないほど立派な物で、当時、これほどの建築技術があったのは驚きです。
物見櫓の四方には楯がおかれていて、兵士が外敵を見張っていたと考えられています。
吉野ケ里歴史公園・南内郭の物見櫓

復元された「大人(だいじん)」の妻の家です。 内部には当時の生活の様子が再現されています。 「大人」とは、軍事や土木工事を取り仕切る実力者で、その中のリーダー格が「王」だと考えられています。
吉野ケ里歴史公園・南内郭・大人の妻の家

こちらの柵で囲まれているのが王の家です。
吉野ケ里歴史公園・南内郭・王の家

こちらは南内郭、北内郭の外側にある堀と柵です。
かなりの深さがある薬研掘で、堀底に下りる事もできます。
今はコンクリートで固めてありますが、土でこれだけの斜面を登るのは難しいと思います。
ちょっと気になったのが堀の位置で、全体的に柵の内側に掘りが掘られている場合が多かったです。 一般的な城では堀は塀や柵の外側なので不思議な感じがします。 戦い方の違いからでしょうか?
吉野ケ里歴史公園・堀

北内郭の入り口
柵が二重になっていたり、出入り口が虎口のように入り組んでいたりと、南内郭と比べて警備の厳重さ感じます。 北内郭は儀式などを行う重要な場所で立ち入りが制限されていた場所だったと考えられています。
吉野ケ里歴史公園・北内郭の入り口

吉野ケ里歴史公園・北内郭の入り口

吉野ケ里歴史公園・北内郭の入り口

北内郭の様子です。
右側にある大きな高床式の建物が主祭殿で、重要な話し合いや儀式などが行われたと考えられています。 発掘調査で判明した柱の位置や大きさから推定された高さ16mの建物が復元されています。 内部では当時の儀式や話し合いの様子が再現されていました。
吉野ケ里歴史公園・北内郭

吉野ケ里歴史公園・北内郭・主祭場

北内郭の柵の内側には堀が掘られてますが、数カ所出っ張っている場所があります。
そこには物見櫓がありました。
吉野ケ里歴史公園・北内郭・物見櫓

甕棺墓列
北内郭の北側に、地面がボコボコと山盛りになった場所があります。
ここは、長さ 600m に渡って2列に甕棺が埋められている墓地と思われる場所です。
甕棺とは、弥生時代の北九州独特の棺で、甕をくっ付けたような棺です。
吉野ケ里歴史公・甕棺墓列

吉野ケ里歴史公園・甕棺墓列

北墳陵墓
2200 ~ 2100年前の身分の高い人々(恐らく歴代の王)の墓と考えられています。
幅 27m、長さ 40m、高さ 4.5m の盛土された墓で、現在はこの盛土の中は遺構保存用の特殊な建物になっています。 現在の高さは 2.5m ほどなので当時はもっと高かったようです。
内部では空調設備で温度・湿度を一定に保ち、発掘調査した時の状態のまま保存・展示しています。
吉野ケ里歴史公園・北墳陵墓

14基の甕棺が発見されており、中央の甕棺が一番古い時代の物です。
吉野ケ里歴史公園・北墳陵墓

祠堂
歴代の王が埋葬されていると思われる北墳陵墓の正面にある建物です。
お供えや祈りを捧げた建物と考えられています。
吉野ケ里歴史公園・祠堂

弥生時代に思ったよりも大規模な建造物や集落が存在していた事を知りました。
吉野ケ里遺跡は邪馬台国の候補として上がる事が多いですが、この規模を見ると説得力を感じます。 また、城の原形がここにある事も強く印象に残りました。
吉野ケ里歴史公園・猪のオブジェ


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2019/04/30/9083499/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。