東京都 神代植物園・水生植物園、深大寺城 ― 2016年12月11日
深大寺を訪問した時にたまたま深大寺の奥に神代植物園の付属施設である水生植物園なる物がある事を知りました。 その時に初めて深大寺城の存在を知りました。
築城者は不明だが16世紀には扇谷上杉氏の防御施設として使用されていました。 北条氏の支配に移ってからは軍事的な重要性が薄れ、ほぼ手付かずの状態でそのまま廃城になったようです。
水生植物園は元々は水田でしたが、昭和44年に調布市が購入した頃は休耕田でした。 その後、数年かけて現在のような水生植物園として整備されて行きました。 住宅街の中に突然湿地が現れる感じです。
東京の町中にもこんな大型の野鳥がいました!
水生植物園の湿地横にある小高い丘に深大寺があるので登ってみます。
最初に現れたのは休憩所のような場所。 紅葉が綺麗です。
現地にあった現在と当時の地図を見比べると、腰郭の位置とは少しずれているようなので郭跡と言うより公園整備時に整地された場所に思えます。
第一郭
先ほどの場所から少し登った先にあります。
この辺りが「本丸」にあたる場所らしいです。
第一郭の中を歩くと周辺が盛り上がっているのが解ります。
これらは当時の土塁跡で、思ったよりも綺麗に残っているみたいです。
土橋
第一郭と第二郭は堀で仕切られており、郭間の通行用に一部が土橋として残されています。 写真は土橋から見た両脇の堀です。 当時の土橋はもっと細く、堀ももっと急で深かったようです。
現在の状態は埋没保存によるものです。
第ニ郭
こちらが第二郭の様子。 第一郭の倍くらい広いです。
周辺を歩くと不自然に盛り上がっており、当時の土塁が残されているのが解ります。 こちらも保存状態が良さそうです。
第二郭では発掘調査により掘立柱建物の跡が見つかっています。
この石柱は建物の場所が解るように柱穴の上に配置されています。
郭跡から水生植物園の方に降りてきます。 この斜面を見ても城と湿地がそれなりの落差がある事が解ります。
深大寺の鬼太郎茶屋まで戻ってきました。
水生植物園の方は閑散としてましたが、この辺りまで戻ってくると観光地化している場所なので大変混雑してます。
大抵の人はこの辺りまでしか来ませんが、たまには水生植物園の方まで足を延ばしてみるのも悪くはないかと思います。
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