福岡県 大野城2019年04月29日

日本全国に同名の城がいくつかありますが、今回訪問したのは福岡県の大野城です。
大野城は、663年の白村江の戦で大和朝廷が敗れ、侵攻を恐れて防御の為に四王寺山に築かれた古代朝鮮様式の山城です。
山の稜線を使って周囲8km を土塁や石垣で囲む壮大な城です。 日本書紀では 665年に築かれた事が記されているので、日本では文献残る最古の城かも知れません。

四王寺県民の森センター
雨が降りしきる中、100名城のスタンプが置かれている四王寺県民の森センターに到着しました。 大野城への道路が一部通行止めになっていたのでルートに悩みましたが連休前に開通したので助かりました。
スタンプは、この休憩所の奥にある事務所のような建物の前に置かれてました。
大野城・県民の森センター

大野城はスタンプを押した後からが問題でした。
あまりにもだだっ広い為、どこを歩けば見所となる城跡に辿り着けるのか分からず途方にくれます...。 雨もひどくなって来たので地図を広げて移動するのも難しい状況になります。
もう少し先に別の駐車場があり、そこからの方が大石垣が近いようなので、とりあえずそこまでバイクで移動する事にします。

焼米ヶ原付近の土塁
この辺りの駐車場に着いた頃には雨以外にも風も強くなって来ました。 このまま散策を続けて大丈夫なのか少し不安になります...。 具体的な道しるべを期待していたのですが見当たらず、大石垣はどちらに進めば良いのか判断できなかったので諦めます...。
とりあえず、土塁付近だけでも見学して行く事にします。
立派な土塁で、こんな感じの城壁が大野城周囲8km を囲んでいるようです。
大野城・焼米ヶ原付近の土塁

大野城・焼米ヶ原付近の土塁

大野城・焼米ヶ原付近の土塁

この先何があるのかも分からずに、しばらく土塁の上を歩きましたが、雨と風が強くなって来たので引き返す事にします。
大野城・焼米ヶ原付近の土塁

大野城・焼米ヶ原付近の土塁

焼米ヶ原(尾花地区)
引き返す途中、土塁の内側にある焼米ヶ原を散策して行く事にします。
の辺りは尾花地区と呼ばれており、10棟の建物跡が見つかっています。
人の背丈ほどもある高床倉庫と考えられており、食料や武器が備蓄されていたようです。
なお、「焼米ヶ原」の呼び名は、この辺りから炭化した米が見つかった事からのようです。
大野城・尾花地区

恐らく、発掘調査で判明した礎石の位置を示しているのだと思います。
建物跡は綺麗に並んでおり、計画的に倉庫が建築されたと思われます。
大野城・尾花地区

大野城・尾花地区

大野城・尾花地区

大野城は道が分からずにブラブラしてもどうにもならない広さなので引き返す事にします。
バイクで帰る途中、百閒石垣の脇を通過しましたが、バイクを停める場所が見当たらなかったので見学は諦めました。 ここは歩いて見学するのが難しい広さなので、数台程度でも良いので各ポイントに駐車場が整備されると良いのですが....。


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