佐賀県 唐津城 ― 2019年05月01日
唐津城は 1608年に寺沢広高が築城した平山城です。 築城には名護屋城を解体した時の資材が使用されたと伝わります。
1647年に寺沢氏が改易になると幕府直轄地となり、以降は譜代大名が城主を務めます。
明治の廃藩置県で廃城となると現在は舞鶴公園として管理されています。
登城路の入り口付近に置かれている多宝塔の一部です。
唐津城築城前は水害救難として寺社が集まっていたらしく、これはその中の一つの海仙寺が作った多宝塔の一部だそうです。
正面入り口から登城路を登り本丸に向かいます。
古地図にも同じような登城路が描かれているので、当時とそれほど変わっていないと思います。 8時40分頃なので、人もそれほど多くはありません。
登城路の途中にあった空間。
何かしらの建物がありそうな場所ですが、これと言った説明が無かったので詳細は不明です。
総締門があるのはもう少し先だと思いますし...。
総締門付近
ここまで一直線だった登城路がここで直角に曲がります。
この辺りが総締門があった場所で桝形虎口になっていたようです。
ここの手前にあった空間も総締門の関連施設ですかね?
総締門付近の樹齢100年を超えるフジは圧巻でした。
昨年は虫害により咲き具合が悪かったようです。 現在でも樹木医の指導の元、手当を行っているようで、元の状態に戻るには数年かかるようです。
これでも本来の姿では無いのかも知れません。
本丸は上下2段の曲輪で構成されています。
訪問時は本丸上段の石垣が改修工事中だったので大手門からは本丸上段には入れませんでした。 唐津城の石垣は全体的に「はらみ・ゆるみ」が酷いようで大規模な改修工事が行われているようです。
本丸下段にあった井戸です。
案内にも載っているので当時の井戸を復元した物だと思います。
稲荷神社
本丸下段の曲輪には稲荷神社が鎮座していました。
何時頃から鎮座しているのか不明ですが、元々、寺社が集まっていた場所だったようなのでその名残でしょうか? もっとも、城跡に稲荷神社が建つ事は珍しくはありませんが...。
天守
唐津城は天守台は築かれましたが天守が建てられた資料は見つかっていないようです。
関ケ原の戦い以降に築かれた比較的新しい年代の城なので、天守自体の必要性は低かったのかも知れません。 現在の天守は慶長期の様式を想定して 1966年に資料館として建てられた模擬天守です。
西門
ここから本丸に入ります。 廃城時に建物は解体されているのでこの門も復元された物なのかも知れませんが、石垣はそれほど変わっていないと思うので、当時も小さな門だったと思います。
本来の正面入り口は大手門なのですが、現在は工事中で通行禁止でした。
天守最上階からの眺めです。
でも天守は存在しなかったと考えられているので、当時の城主はもう少し低い地点からの眺めだったのでしょう。 こうして見ると周りのほとんどが海に囲まれた防御力が高そうな城です。
唐津城は本丸以外の遺構はあまり残っていない感じでした。
ただ、古地図と現在の地図を見比べると、市営有料駐車場辺りが下曲輪、中学・高校がある辺りが御殿だったと思います。 地形の面影は意外と残っているようで興味深いです。
では、ここの築城時に部材を提供した名護屋城に向かいたいと思います。
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