京都府 妙心寺2020年11月21日

妙心寺は京都府左京区花園にある日本最大級の禅寺です。 周辺には多くの塔頭があり、一つの町のようにも感じる場所です。
元々は花園天皇の離宮でしたが 1337年に禅寺に改められたのが妙心寺の始まりになります。 室町時代に応永の乱が起こると、乱を起こした大内義弘と妙心寺の住持が近い間柄だった事から足利義満に寺領が没収され妙心寺は途絶えてしまいます。
その後、中興されますが応仁の乱で焼失します。 今日のような広さになったのは、斉藤利国の妻、利貞尼の寄進による物らしいです。

北総門
今回は JR バスの「高雄フリー乗車券」だったので、「御室仁和寺」で途中下車、嵐電に乗り換えて妙心寺駅から徒歩で向かいました。 長い距離では無いので帰りは「御室仁和寺」まで歩きました。 妙心寺の境内は非常に広く、駅から北総門までの距離よりも、北総門から方丈、法堂の方が遠い印象を受けました。
妙心寺・北総門

霊雲院
方丈に行く途中にあった紅葉が綺麗な妙心寺塔頭の一つです。
拝観は出来ないので門の外からの眺めです。 1532年に創建されたようで、後奈良天皇が行幸されたりと、皇室との繋がりもありそうです。
妙心寺・霊雲院

山門
現在の山門は 1599年に再建された建物なので、応仁の乱以降に再興された時の物だと思います。 二階部分には観世音菩薩と十六羅漢が安置されています。
妙心寺・山門

浴室(明智風呂)
妙心寺の塔頭、大嶺院(廃寺)の密宗和尚は明智光秀の叔父にあたる人物でした。
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、自害する覚悟で妙心寺仏殿を拝礼したと伝わります。 密宗和尚の説得により自害は思いとどまりますが、豊臣秀吉との戦いに敗れ討ち死にします。 1587年、密宗和尚は光秀の菩提を弔う為に浴室を創建しました。 「明智風呂」と呼ばれているのは、それらの由来からのようで、光秀た使ったとか、そう言う話でな無さそうです。 なお、現在の建物は 1656年に再建された物のようです。
妙心寺・浴室

仏殿
現在の建物は 1827年に再建された物です。
本尊は天正年間(1573 ~ 1593年)に造られた釈迦如来です。
妙心寺・仏殿

奥に見えるのは法堂です。
妙心寺・仏殿

経蔵
1673年に建立された経蔵のようですが、情報があまり見つかりません。
扁額の「毘盧蔵(びるぞう)」は伏見天皇(1265 ~ 1317年)の宸筆のようですが、年代が合わないので、この建物の為に書かれた物では無さそうです。
妙心寺・経蔵

法堂
1657年の建立された法堂です。
天井に描かれた狩野探幽による雲龍図が有名です。 8年の歳月をかけて描かれた雲龍図は「八方睨みの龍」とも呼ばれており、見る角度によって表情が変化します。
また、法堂内には、文武天皇2年(698年)の銘がある日本最古の鐘も保管されています。
拝観料を支払えば、建物内の見学も可能です。
妙心寺・法堂

大方丈には玄関が2か所あり、こちらは通行禁止になっている唐門。
妙心寺・唐門

先ほどの唐門の左隣にある玄関。
この奥に大方丈と拝観受付があります。
なお、妙心寺の拝観は時間が決まっており、ガイドの人と一緒に建物内を見学する方法なので、時間に余裕をもって訪問した方が良いです。
妙心寺・大方丈の入り口

大方丈
1654年に建立された大方丈です。 奥に小方丈もありますが、そちらは公開されてません。
元々、方丈は住持の住居だったが、現在は檀信徒の先祖の弔いや講演などの場として使用されています。 本尊は阿弥陀三尊です。
方丈でお参りした後、拝観の案内が始まるまでここで時間を過ごします。
妙心寺・大方丈

妙心寺・大方丈

大庫裏
現在の建物は 1653年に改修された後の物です。
内部には大勢の僧侶の食事を作る台所などがあります。
法堂内の拝観の後、大庫裏の内部が案内され、説明を聞きながらじっくり見学する事が出来ました。
妙心寺・大庫裏

妙心寺には多くの塔頭があり、拝観できる所もあるのでそれらを見学して行く事にします。


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