神奈川県 妙本寺 ― 2024年03月17日
神奈川県鎌倉市大町にある妙本寺は、元々、源頼朝の重臣、比企能員の屋敷があった場所でした。 比企一族は、鎌倉幕府2代目将軍、頼家の後継者争いで北条氏の策略によって比企能員の変で滅ぼされます。
比企一族で助命されたのは能員の妻妾と幼かった能本だけで、能本は流罪になった後に出家します。 後に鎌倉に戻った能本は、父、能員と母の菩提を弔う為、1260年に屋敷のあった場所に法華堂を建立します。 それが妙本寺の始まりとなります。
総門
関東大震災で倒壊した後、1925年に再建されたのが現在の総門です。
総門は比企谷幼稚園の側にあり、現在の妙本寺の敷地からは少し離れた場所に孤立して存在するように思えます。
昔はこの辺りまで寺院だったのかも知れませんね...。
蛇苦止堂
総門をくぐった後、左に進める道があり、その道を進んだ先に蛇苦止堂があります。
この御堂は 1925年に建立された物です。
ここは、井戸に飛び込んで自害した若狭局を祀る御堂です。
若狭局は家宝を守る為に井戸に飛び込んで自害し、蛇身になって家宝を守っているのだとか...。 夜に来ると怖そうですで..。 でも、周りは住宅地なので夜に来るのは控えた方が良いでしょう...。
蛇形井
比企能員の変で屋敷が炎上した時、能員の娘・若狭局は井戸に飛び込んで自害したと伝わります。 若狭局は源頼家の妻妾で、頼家の長男・一幡の母親です。
一幡もこの時に亡くなっており、頼家は将軍職を剥奪された後に暗殺されます。
頼家の弟・実朝が将軍となりますが、実朝は頼家の次男(三男との説もあり)公暁に暗殺されます。 この頃は権力基盤が不安定なせいか、暗殺や謀略が横行してますね...。
方丈門
蛇苦止堂から引き返し、方丈門の先に進みます。
この門は 1973年に建立された冠木門で、門の先は寺務所を兼ねた書院と本堂があります。
本堂
1931年に再建された本堂です。 妙本寺の建物は新しい物が多いようです。
隣は寺務所を兼ねた書院です。 本堂、書院の一般公開はしてなさそうです。
思ったよりも大きな寺院ですが、参拝者は少なく、静かで落ち着く寺院でした。
二天門
天保年間(1830 ~ 1844年)に建立された門で、持国天と毘沙門天が祀られています。
妙本寺の中ではかなり古い部類の建物だと思います。
もっと鮮やかな朱色だった頃の写真を見たのですが、だいぶ色落ちしてる感じです。
祖師堂
天保年間(1830 ~ 1844年)に建立された建物です。 日蓮聖人が祀られています。
かなり大きな建物で、鎌倉最大級の建物と言われてます。 当初、こっちが本堂だと思ってました。 比企能員を供養する為の寺院だと思うのですが、あまりそのような印象は受けません。 確かに比企一族のお墓がありますが、普通の日蓮宗の寺院に見えます。
日蓮聖人像
妙本寺を創建した能本が日蓮と出会ったのは鎌倉に戻ってからのようです。
日蓮が立正安国論を幕府に提出したのが 1260年なので、能本が妙本寺の始まりとなる法華堂を建立したのはちょうどその頃です。 翌年に日蓮は伊豆に流罪になっており、日蓮に対する圧力が高まっていた頃なのかも知れません。 能本も、日蓮に帰依すると幕府に目を付けられる可能性があり、リスクの高い行動だったのかも知れません。 日蓮には、それほど人を引き付ける魅力があったのでしょう...。
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