京都府 清凉寺 ― 2017年11月25日
985年、宋へ渡っていた奝然(ちょうねん)が釈迦の生き写しとされる「釈迦栴檀瑞像 」を模した像を仏師に彫らせました。 987年にその像を持ち帰った奝然は、愛宕山に像を安置する寺院を創建しようとしましたが、願いが叶う事はありませんでした。
奝然の死後、弟子の盛算が棲霞寺(せいかじ)内に建立したのが清凉寺になります。
祇王寺からの徒歩による移動だったので、西門から入ります。
鐘楼
鐘楼は江戸時代に入ってからの物らしいですが、梵鐘には足利義政、日野富子、足利義尚らが 1484年に寄進した事が記されています。
どうやら、応仁の乱で焼けてしまった京都の復興時に鋳造された物らしいですね...。
本堂
本堂は何度か火災で焼失しており、現在の建物は 1701年に再建された物です。
本尊は奝然が仏師に作成させ持ち帰った、三国伝来(インド~中国~日本)生身釈迦如来像です。 本堂、および庫裡の内部は拝観する事も可能です。
本堂と庫裡は、この廻廊で繋がっています。
廻廊からは本堂裏の美しい庭園を見る事ができます。
庫裡からは別の庭園を見る事が出来ます。
本堂内を拝観して、ここまで来る人は比較的少ないので落ち着いて景色を見る事ができました。
庫裡の入り口と思われる場所を外から見た所。
弁天堂
建立年代は不明ですが、江戸時代後期の物らしいです。
弁財天はインドの女神「サラスヴァティー」が起源であり、聖なる河の化身です。 その為か、池の中に祀られている場合が多いですね..。
阿弥陀堂
光源氏のモデルであもある源融(みなもとのとおる)が、嵯峨天皇から別荘を賜り創建したのが清凉寺の前身である棲霞寺です。 895年に棲霞寺に建立された御堂が阿弥陀堂の始まりで、現在の建物は 1863年に再建された物です。
棲霞寺に関する遺構は、現在、ほとんど残っていません。
一切経蔵
中には経典が収められた輪蔵があり、これを1回転させれば一切経を読んだのと同等の功徳が得られます。 自分も回してみましたが、結構、重かったです。
御堂には、傅大士(ぶだいし)像が安置されていました。
傅大士は、輪蔵を創始した人物です。
多宝塔
1700年頃に寄進された物です。
愛宕権現社
愛宕権現は、山岳信仰と修験道が融合した神様です。
清凉寺の本尊を宋から持ち帰った奝然は、愛宕山に像を安置する事を願いました。 愛宕権現社が祀られているのはその関係でしょうか?
仁王門
金剛力士像の他に、十六羅漢も安置されている仁王門です。
こちらも何度か再建されており、現在の建物は 1776年に再建された物です。
今回の京都寺社巡りの旅はここが最後の場所となりました。 約7年ぶりの京都でしたが、ほとんど変わっておらず、記憶を辿るような旅で、なかなか楽しかったです。 一度訪問した所への再訪の悪くはないと思いました。
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