京都府 泉涌寺 ― 2020年11月20日
泉涌寺は京都市東山区にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院です。
平安時代には前身となる寺院があったようですが、正確な創建年代などは不明のようです。
実質的には、俊芿が 1218年 に荒廃していた寺院の寄進を受け、1226 年に主要な伽藍を完成させたのが始まりのようです。
皇室の菩提寺でもあり、多くの天皇の葬儀が行われています。 その事から「御寺」とも呼ばれています。
総門
勝林寺で降り始めた雨は、泉涌寺の総門に着く頃には雨脚が強くなっていました。
寺院としては有名ですが、紅葉スポットでは無いので東福寺と比べると、だいぶ静かな印象を受けます。 ここから拝観受付がある大門までは、まだ少し歩く事になります。
大門
拝観受付がある大門に到着。
この門は、慶長度(1613年)の内裏の南門を寛永年間(1624 ~ 1645年)に移築した物です。
大門の前には広い駐車場があり、大型観光バスも数台停まっていました。
大門を通ると、幅が広く、長い参道が続きます。
皇室の菩提寺だけあり、かなり大きな寺院です。 しばらく歩くと仏殿が見えてきました。
浴室
僧侶が身を清める為の施設です。
浴室と言っても、今のような湯舟がある訳では無く、床下で湯を沸かした蒸気を上に出す、蒸し風呂のような仕組みです。 泉涌寺の名前の由来は、俊芿が伽藍を完成させた時、霊泉が湧いた事からなのですが、その霊泉は浴室の近くに現存しています。 ただ、雨の中の訪問だったので、完全に見逃してしまいました...。
仏殿
1668 年に徳川家綱によって再建された建物です。
運慶作と伝わる阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩の三尊が安置されています。 この三尊は「三世三尊佛」と呼ばれ、阿弥陀は「現在」、釈迦は「過去」、弥勒は「未来」を意味するらしいです。 内部の拝観が可能なのですが、運悪く団体客と鉢合わせてしまい、外からの参拝となりました。
舎利殿
仏殿の裏側にあるのが、仏舎利を納める舎利殿です。 仏舎利を納める建物としては、五重塔のような「塔」のような建物をイメージするのですが、このようなわりと普通の建物は珍しいかも知れません。 こちらも慶長年間の御所の建物を移築した物らしいです。
天井には狩野山雪の龍が描かれており、日光東照宮に対して「西の鳴き龍」と呼ばれているようです。
舎利殿の奥にある御座所の屋根が、塀の上から少し見えます。
御座所は、皇室の参拝時に使用される休憩所です。
元々は 1818 年に建立された旧御所の御里御殿で、1884 年に移築現在の場所に移築されました。
勅使門
現在の門は 1841年の火災の後、1845 年に再建された物です。
皇族の方々が寺を訪れた時に開かれる門です。
この門は通れませんが、特別拝観料を支払えば、この門の奥にある御座所も拝観できるようです。
全体的に、それほど紅葉が綺麗と言う印象はありませんでした。
多分、この辺りが一番綺麗だったように思えます。
特別拝観で御座所庭園でも見学すれば、また違った印象を受けたのかも知れません。
楊貴妃観音堂
唐の皇帝玄宗は、楊貴妃を寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしてしまいます。
その乱によって楊貴妃は命を落とし、玄宗は面影を偲ぶ為に観音像を作りました。
中国に渡った湛海は、1255 年にその像を持ち帰り、泉涌寺に安置したと伝わります。
皇族との繋がりが深い寺院としては世界遺産の仁和寺が有名ですが、そちらと比べると少し知名度が低いかも知れません。 でも、その分、静かで落ち着いた雰囲気があります。
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