山形県 致道博物館 ― 2023年07月15日
致道博物館は荘内藩主だった酒井家より、文化財、および、土地、建物が寄贈されて 1950年に設立された博物館です。 思ったよりも昔からある博物館のようです。
敷地内には、重要文化財となる建物が移築されており、酒井家伝来の資料や荘内の民俗資料などが展示されています。
致道博物館があった場所は鶴ヶ岡城の三之丸だった場所であり、鶴ヶ岡城の散策を終えたのでそちらも見学する事にしました。
旧西田川郡役所
1881年に建てられた明治時代の建物です。
ここでは、庄内地方の考古資料や戊辰戦争関連の資料などが公開されてますが、修繕工事中だったようで中には入れませんでした。
絹産業を支援する為の品評会などもここで開催されたようで、明治天皇が東北に巡行した時には行在所としても使用されました。 とても美しい洋風の建物です。
扉のデザインなんかも斬新です。 1972年に現在の場所に移築されました。
旧酒井家江戸屋敷赤門
「田安徳川家の姫君が酒井家に輿入れした際に建てられた門」との説明がありました。
年代からの推測ですが、1773年に脩姫が酒井忠徳に興入れしたとの記録があるようなので、この門はその時に建てらたのかと思います。
赤門は、1864年に江戸中屋敷から御隠殿の門として移築されますが 2004年の台風で倒壊します。 現在の門は、倒壊した部材をできるだけ使用して再建した物です。
赤門は、徳川家の娘が大名に嫁ぐ時に建てられる住居用の特別な門で、火災で焼失しても再建が許されなかったそうです。
旧鶴岡警察署庁舎
1884年に建てられた警察署庁舎です。 当時の警察署庁舎は、洋風のなかなか洒落た建物だったようです。 水色の外壁などは、なかなかのセンスです。
1957年に警察署が移転となり、建物を保存する為に現在の場所に移築されました。
旧西田川郡役所、こよび、旧鶴岡警察署庁舎は、高橋兼吉が設計した建物で、ここでは高橋兼吉の建築資料などが展示されています。
取調室
取調室は2部屋ありました。
一間毎に高さが違う変わった作りで、取調を受ける人が一番低いムシロの上に直接座っていたのだと思います。 まるで江戸時代のお白洲のような作りです。 明治時代くらいだと、罪人に対する扱いは江戸時代とそれほど変わらなかったのかも知れません。
旧鶴岡警察署庁舎の2階ベランダから館内の様子が良く見えます。
受付と赤門を上から眺めた所。
瓦の上に手すりのような物が付いたアーチ状の物が置かれてます。
初めて見ました。 あれは何なのでしょう...。 雪に関係するのでしょうか? 初めて見ました。
旧御隠殿土蔵
江戸時代後期に御隠殿に付属して建てられた土蔵です。
酒井家の土蔵として現存する唯一の土蔵で、1956年から「民具の蔵」として民俗資料が展示されています。
旧渋谷家住宅
1822年に六十里越街道の田麦俣(旧朝日村)に建てられた、豪雪地帯の多層民家です。
1967年に保存の為に、この場所に移築されました。
豪雪地帯なので、建物は4層構造になっています。
渋谷家は、明治時代になると養蚕業を始め、2階、3階、屋根裏を養蚕の作業場として使用していました。 この写真からは分かりませんが、屋根に養蚕用の高窓が付けられています。
そう言えば、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の高山社も、そんな感じの屋根になってましたね..。
旧荘内藩主御隠殿
幕末に11第藩主酒井忠発が建てた隠居所の一部で、江戸の中屋敷の一部を船で運んで移築したようです。 廃藩後は旧藩主の住居として使用されました。
現在は、酒井家に伝わる調度品などを展示しています。 多分、昔はもっと大きな建物だったと思います。 建物の裏には、酒井氏が江戸時代に造園した庭園があります。
致道博物館では、旧風間家住宅丙申堂、無量光苑釈迦堂、藤沢周平記念館の4カ所が入れるセット券を購入したので、他の施設を見学する事にします。
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