京都府 南禅寺2017年11月24日

南禅寺は京都五山、鎌倉五山の上位におかれる別格扱いの最上位の禅寺です。
南禅寺が創建される前には既に禅林寺殿と呼ばれる離宮が存在していました。 1291に亀山法皇が禅林寺殿を寺に改めたのが南禅寺の始まりとなります。

本坊
永観堂から徒歩による訪問だったので、大寂門の手前を左折して南禅寺に入りました。
一番最初に目に入ったのがこの立派な唐破風の大玄関。
でも、ここからは限られた人しか出入りが出来ないのだと思います。 観光客用の出入り口はこの先の建物になります。
南禅寺・本坊・大玄関

一般人は、ここから入ります。
本坊から方丈へ行く事が出来ます。
南禅寺・本坊

方丈
南禅寺の建物は応仁の乱でほとんどが消失しており、本格的な復興が始まったのは江戸時代に入ってからになります。 この方丈も、京都御所の建物を 1611年に移築した物です。
ここまで歩きっぱなしだったので、縁側に座って落ち着いてしまうと、なかなか動き出せなくなります...。
南禅寺・方丈

南禅寺・方丈

小方丈庭園
「如心庭」とも呼ばれている石庭です。
「心」の字の形に石を配置しているそうですが、良く解らなかったです...。
でも、こういう庭は自分の好きなように解釈すれば良いかと思います。
南禅寺・小方丈庭園

南禅寺・小方丈庭園

蓬莱神仙庭
蓬莱」とは、仙人が住む不老不死の地と考えらている霊山の事。
ここを眺めると言う事は、すなわち、仙人が住む庭を眺めると言う事らしい...。
このシンプルな風景を美しく感じるのは何故だろう...。
南禅寺・方丈・蓬莱神仙庭

方丈はこんな感じに、結構、複雑に入り組んでいます。
建物や廊下の間にある小さな庭があり、それぞれに意味合いがありそうです。
歩いていると、位置関係が分からなくなる...。
南禅寺・方丈

南禅寺・方丈

不識庵
方丈の庭園の中では紅葉が一番美しかった場所です。
写真奥に写っているのが不識庵のようです。
この庭園が造られたのは 1984年のようで、不識庵はその時に移動したようですね...。
南禅寺・不識庵

中庭
説明が見当たらなかったのですが、ちょっと印象的な庭でした。
白い砂の模様が、水面の波紋のようでもあり、水流のようでもあり...。
南禅寺・方丈・中庭

水路
方丈を出て南禅院の方に向かうと古い煉瓦造りの水道橋が見えてみます。 ここも南禅寺の見所の一つと言える場所です。 この水路は、琵琶湖の水を運ぶ為に 1888年に造られました。 100年以上も前に造られた水道橋ですが、現在でも水が流れています。
ただ、ここは本当に人が多いので、写真を撮るのであれば早朝に来た方が良いかと思います。 数枚写すのに苦労しました...。 アーチ状のデザインが素晴らしいです。 
南禅寺・水路

南禅寺・水路

南禅院
先ほどの水道橋をくぐった先にあるのが南禅院です。
禅林寺殿と言う離宮が南禅寺になる訳ですが、離宮は「上の宮」と「下の宮」に分かれており、「上の宮」は「南禅院」と呼ばれていました。 ここは、その遺構になります。
要するに、ここが南禅寺発祥の地と言える場所になります。
拝観料が別途必要ですが、ここの紅葉も本当に美しいです。
南禅寺・南禅院

南禅寺・南禅院

南禅寺・南禅院

南禅寺・南禅院

法堂
南禅寺の中心的な建物です。
創建当時の物は応仁の乱で焼失しましたが 1479年頃に再建されました。
豊臣秀頼の寄進により、大改修されて明治時代まで残りましたが、1893年に火災で焼失します。 現在の建物は 1909年に再建された物です。
南禅寺・法堂

三門
大きさに圧倒されます...。
1628年に藤堂高虎が大阪夏の陣の戦没者慰霊として寄進した物です。
「絶景かな絶景かな」と言う有名なセリフは、歌舞伎の演目の中で、石川五右衛門がこの門から桜を眺めた時のセリフだったようです。 知りませんでした...。
南禅寺・三門

南禅寺・三門

これから本日の最終目的地、高台寺のライトアップに向かいましょう。
銀閣寺から歩きっぱなしで、少々、疲れてきた...。


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